
ちょっとが苦手
ちょっとだけやるとか、
ちょっとづつ進むとか、
ちょっと我慢するとか、
「ちょっと」が苦手。
例えば、
甘いものをちょっとだけ、
アルコールをちょっとだけ、
趣味の時間を少しだけ、
なーんてうまくやれた試しがない。
「ちょっと」をするぐらいなら
私は一気にやりたい。

ちょっとだけやるとか、
ちょっとづつ進むとか、
ちょっと我慢するとか、
「ちょっと」が苦手。
例えば、
甘いものをちょっとだけ、
アルコールをちょっとだけ、
趣味の時間を少しだけ、
なーんてうまくやれた試しがない。
「ちょっと」をするぐらいなら
私は一気にやりたい。

普段、生活をしていると
私たちの身近に「死」はない。
頭ではいずれ終わるとわかっていても、
限りがあることにハッとするのは
大切な人ともう二度と逢えないことに直面化した時や
その想像がリアルにできる時。
私は母が亡くなって初めて「死」を実感した。
自分の「死」に直面化した訳ではないので、
何もわかってないのかもしれないけど
いのちに終わりあることをリアルに感じた時ほど、
自分にとって必要なことや本当の願いが
はっきりとする機会はないのかもしれない。
すると、
病気や怪我というのは
やっぱり大きなギフト的な面があるってことだよね。
チャンスなんだよね。

心が触れるものも含めて
直接、自分に触れるものは大切にしたい。
例えば、言葉。
なんか…わざとらしく感じるから
アファメーションとかはあまり得意じゃないけど、
触れる言葉は大切にしたいと思っている。
影響を受けるとわかっているのに
それをぞんざいに扱う気にはなれない。
例えば、付き合う人。
断れない付き合いも当然あるけど、
誰と付き合うか、
誰と長い時間を共にするかは選びたい。
付き合う人によって変わる一面が
人にはあるのだから
良い影響を与えあえる人と付き合いたい。
例えば、環境。
ミニマリストではないし、
それを決して望んでもないけど
整理された環境でありたい。
気がかりがたくさんあるような状態では
エネルギーが削がれるので
どこに何があるか、
今、何が必要かがすぐにわかる自分でありたい。
普段、無自覚にいろんなものに触れている。
ひとつひとつ、整えたいね。

どんな自分であっても
「自分を引き受ける」ということにおいては
誰もが平等で、
年齢も性別も立場も何も関係ない。
仮に、
あの立場だから…
あの年齢だから…
と許されるとしたら
それは温情ではなく侮辱に近いと私は思う。
責任を取るということが
「自分を引き受ける」力があることなら
責任を回避するというのは
自分に力がないことを認めたこと。
意地でもいい、
「引き受けないとだけは言わない」と
決めることが大事だよね。

もう二度とあの頃には戻りたくない
あんな経験はゴメンだ…と
感じるような過去があなたにあるかもしれない。
それは
よく頑張ったってことだよね。
よく乗り切って今があるということだ。
だから、
当時の自分をしっかりねぎらおうね。
よく乗り越えたよなぁ〜って
いたわってあげようね。

「範疇」をわかることは大切だ。
例えば、
頑張って感じ良くする必要はないけど、
悪い印象を与えない「範疇」が良い。
例えば、
「自信がある」必要はないけれど
「自信が無い」といった恐れや不安が無い「範疇」が良い。
まずは「範疇」を意識して!

例えば、
ダイエットに成功したらこうする!ああする!
と思っているのなら
それを今からやるべきだ。
例えば、
思い描いた成功をしたらこうする!ああする!と
思っているのなら
それを今からやるべきだ。
目指すものになってから変わるのではなく、
変わった先に
目指すものがあるのだから。

失敗は傷つくよね。
自分がダメに思える。
だからこそ、
成功するまでやめないこと。
そこで終わったら失敗だけど
成功するまで続けたら
失敗は成功秘話、知られざるエピソードになる。