
好き
好きなことの話している人って
聞いてても見てても
なんて気持ちの良いものなんだろう。
「好きこそ物の上手なれ」もあるが、
好きが最強なのは、
好きなことの話をしている人をこちらが好きになってしまう点、
応援したくなるところだ。
どこが良いかを語ってくれた「対象」も好きになるが
好きなことの話を熱くしている「その人」への好感度はそれ以上に増す。
自分の「好き」という感覚を大切にすることは
自分を大切にすることにつながっていくんだよなぁ。

好きなことの話している人って
聞いてても見てても
なんて気持ちの良いものなんだろう。
「好きこそ物の上手なれ」もあるが、
好きが最強なのは、
好きなことの話をしている人をこちらが好きになってしまう点、
応援したくなるところだ。
どこが良いかを語ってくれた「対象」も好きになるが
好きなことの話を熱くしている「その人」への好感度はそれ以上に増す。
自分の「好き」という感覚を大切にすることは
自分を大切にすることにつながっていくんだよなぁ。

別の選択をしていたら違う今があったのかも…と考えがちだが
それは存在しないのかもしれないな。
何をどう選んでもこうなっていたというか。
これをやる必要があったというか。
この人生で避けては通れない、
必達課題だと考えると逃げていても仕方ない。
あなたがクリアーできない課題は来ないはず。
とっとと課題に向き合って
終わらせて次に行こう!

なぜ、それを選んだのかを
改めて考えてみる。
何を得たかったのか?
それを得ればどうなると思っていたのか?
本当の望みは何だったのか。

例えば、
ギャンブルにハマってしまってる人を見ると、
きっと過去に大当たりを経験した人なんだろう
と想像できる。
当たった時の興奮や
一瞬にして大金を手にする感覚などを知ってしまって
働くことが
とても面倒なことに感じてしまっているのかもしれない。
他人のことなら、
最初に当たったのがラッキーで、
「普通」を改めて
解釈し直さないといけないことがよくわかる。
「ラッキー」を「普通なこと」と思うと
「普通のこと」がしんどく感じるから。
こういうことが自分の人生にも起こっているとしたら
どうだろう?

気にし過ぎてしまっている時は
志を上げてみよう。
例えば
地域のことが目標だったら日本全体へ。
日本のことが目標だったらアジアへ。
アジアのことが目標だったら世界レベルまで引き上げてみる。
高くしてみたり、幅を広げてみたり。
細かいことなど構ってられないぐらいまで
志をうーんと高くしてみる。
すると、
気にしてることが意味の無いことに思えてくる。

苦しむと苦しんでいる人の気持ちがわかり、
損なうと損なった人の気持ちがわかる。
強い立場になると強い立場の人の気持ちがわかり、
弱い立場になると弱い立場の人の気持ちがわかる。
どんな気持ちだろうが
その気持ちになる人にも
ちゃんと理由があるんだよね。
経験しないと本当のところは掴めないし、
掴めたからって通り過ぎれば忘れてもしまう。
ココんとこ、忘れないようにしていたいね。

勇気をもって1歩目を踏み出したものの
2歩目も3歩目も4歩目も真っ暗で恐ろしくて、
踏み出したことを後悔してて
この道でよかったのか不安でいっぱいで。
だからって道を変える勇気もなく
恐る恐る5歩目を出したら突然、
視界が広がるってことがある。
それが次の次の一歩かもしれないし、
10歩目かもしれないけど。
いずれ、ちゃんと開けると思ったら
疑っている時間が無駄に思えるから不思議だよなぁ。

私にとっては
「何」を「どこ」でやるか以上に
「誰」とやるかが最も大事。
ただ、「コレをココでやりたい」には
価値観が近い人が集まるはずだから
自分の「〜したい」を大切にすると
自ずと過ごす人たちが決まってくる。
「誰と」は大切な環境で、
朱に交われば赤くなるものだから
丁寧に選びたいね。

自分を変えるやり方にはいろんな方法がある。
そのひとつは
「自分が求めているものを先に周りに与える」
という方法。
打算的ではなく、
「自分が欲していることならきっと周りの人も欲しているだろうから、
なら、お先にどうぞ!」的な感じ。
遠回りに思えるかもしれないが
以外と近道なんだよねぇ。
それに、
今まで見えなかった世界が回見えるし、
その効用は想像以上に大きい。
お先にどうぞ!は副交感神経も有利にするらしいしね。

息子の高校生活最後の一年が始まった。
お弁当作りもこの1年で終わるのかと思うと
なんとも言えない気持ちになる。
リモートワークのおかげで
毎日、お弁当を作れるのは嬉しい。
しかし、
反抗期の息子は可愛くない時も多い。
何にせよ
親元にいる最後の1年で
高校生活最後の1年だ。
悔いのないように丁寧に過ごせますように。