
I’m many vol.5063
I’m manyは本当だ。
You are manyも本当だ。
私には色んな私がいて、
あなたにも色んなあなたがある。
あなたが好きなあなたで、
私が好きな私で居れますように。

I’m manyは本当だ。
You are manyも本当だ。
私には色んな私がいて、
あなたにも色んなあなたがある。
あなたが好きなあなたで、
私が好きな私で居れますように。

受講生が弊社の講座を
「血を流して進む侍のイメージ!」
と言っていた。
この言葉から受講生がいかに
自分と真摯に向き合っているかがわかる。
何十年も目を背けて来たのだもの、
向き合った時の衝撃は
刀で切られ、血が噴き出す感じがするのもわかるな。
じゃぁ何故、
その受講生は血を流しても受講し続けているのか。
それは、その後の自分が確実に違っていて、
痛みなくして成熟なしを実感しているからに他ならない。

この2時間でコレを終わらせる。
今日はここまでやる。
今週は最低、これを完了する。
といった具合に
短期的に区切った方がやり切れる。
やることが明確になるし、
達成感も味わえるし、
一つに絞った方が返って
たくさんのことがやれるものだ。
私たちが使える時間は限られている。
大切なものに使いたいね。

私たちは「場」に
作られてしまう面がある。
だから、自分を活かす「場」は自分で選ぶ。
誰とのどんな関わりが
自分がより強く、より優しく、より自由になれるのか。
誰にどんな関わり方をすれば
相手がより強く、より優しく、より自由になれるのか。
互いの持ち味や能力が
より自由に発揮される「場」づくりを意識する。

もうだめだ…と感じていても
意外とまだ間に合うことが多い。
この程度じゃダメだと思っても
その程度伸びているもので
諦めずにやって良かったと振り返ることは多い。
結果がはっきり出るまではわからない。
先に諦めてしまうのが最ももったいない。
意外とまだ間に合うんだよ。

母が亡くなる前によく言っていた。
「庭に水を撒いている時に、
なんとも言えない幸せ〜な気持ちになる」と。
幸せは何気ない瞬間にある。
ふと見上げたら吸い込まれそうな青空だったり、
以前から読みたかった本がグイグイ読めたり、
ぐっすり眠れた感じがわかったり。
しみじみ幸せを感じる時がある。
幸せとそれに気づく力はつながっているが
幸せに気づく力を高めるのに必要なことは
案外、ストレスなのかもしれない。
白だけでは白とは気づかないが、
黒が入って初めて白がはっきりわかるように
プレッシャーやストレスがかかる状態を経験しているからこそ
何気ない日常に幸せをたくさん感じれるのかもしれないね。

心から望んでいることが意識できると
そのほかの余計なものがストンと落ちる。
私は願っていたのはこういうことだったんだ!と
気づいただけなのに、
やるべきことがわかり視界がクリアーになっていく。
起こった出来事を
自分にとって重要視すべきものかどうか
判断することが容易になる。

忙しいは心を亡くすと書く。
これが忙しさの効用で、
忙しくしていれば囚われを避けることができる。
自分に向き合わなくて済む。
それも良いんだよ。
自分に向き合うことは大事だけど
向き合いたくない時もあるさ。
そんな自覚があっての忙しさなら
なお良いね。

元々、家で晩酌はしない。
アルコールの味が大してわかる訳でもない。
ただ、
会えば時間に関係なく飲んでいたメンバーがいなくなった今、
妙に昼からだらしなく呑みたい。
気軽にだらしなさを共にできる人がいないのは
寂しいなぁ。

本当の想いは箱の中のその中、
まるでマトリョシカなみに
奥の奥に仕舞われている。
羞恥心で覆われてたりもするから
自分一人では見つけられない可能性も高い。
こういうときは
他者の力を借りるのが有効だ。
自分の話ができる安心安全な場で
自由に自分を語ることで自身をさらに深く学ぶことができる。