ちゃんと分けよう
目の前の課題がダメなことと
自分自身がダメなことを混同する人がいる。
たったひとつの分野の問題なのに
自分全体を評価してしまう。
それは事実じゃない。
思考のクセだよ。
浅いところでできなかったことに落ち込むことは自然なことだけど、
深いところでは
出来ることと自身の評価は分けよう。
ひとつの課題がダメなことで
その人全体をダメだと評価をする人も世の中にいるけど、
そんな人からはとっとと離れた方がいい。
そんな人の評価で落ち込む方が勿体無い。
目の前の課題がダメなことと
自分自身がダメなことを混同する人がいる。
たったひとつの分野の問題なのに
自分全体を評価してしまう。
それは事実じゃない。
思考のクセだよ。
浅いところでできなかったことに落ち込むことは自然なことだけど、
深いところでは
出来ることと自身の評価は分けよう。
ひとつの課題がダメなことで
その人全体をダメだと評価をする人も世の中にいるけど、
そんな人からはとっとと離れた方がいい。
そんな人の評価で落ち込む方が勿体無い。
ふと頭をよぎる人や言葉、風景がある。
懐かしいシーンだったり、
ビクッとするような言葉だったり
思い出すたびにこちらも嬉しくなるような笑顔だったり、
冷たい視線だったり。
一瞬で消えてしまうのだけど
そこに私たちは反応する。
懐かしいシーンであれば気持ちが優しくなり、
ビクッとするような言葉であれば緊張が走り、
嬉しくなるような笑顔であれば思わず頬が緩み、
冷たい視線なら身が固くなる。
今、起こってるのことではないのにね。
人生は自ら作っていく側面と
与えられた課題をクリアしていく側面がある。
投げかけられた課題に対して
応え方を自ら選択し、
自らの選択したその先にまた与えられる課題があり、
その課題に応えていくといったことが繰り返される。
ふと振り返ると
流れができていて
あなたの大海への道となっている。
ちゃんと落ち込めるのは力なんだよなぁ。
落ち込むことを回避すると成長にはつながらない。
落ち込むことには力が必要なんだ。
現実を観て、受け入れる力。
今までを悔やむ力。
また、自分の力を信じる力がなければ
落ち込むことはできない。
落ち込むことができれば
伸びることができる。
人生が長くなったから、
やり直しが効くことも増えた。
今からでも間に合う。
例え、間に合わないことでも
取り組んでみると思わぬところから
救われたりする。
人生の達人は適切だ。
やれる時にやれることをやる。
結果が出れば真摯に受け止め、
そのまま進むか、諦めて別のルートに進むかを決める。
やる前から結果を勝手に予測して右往左往したりしないし、
諦めるかどうかにエネルギーを注ぎすぎたりしない。
つまり、
変えれるものと変えれないものを判断し、
変えれないものは受け入れ、
変えれないもの以外は変えていく。
ニーバの祈りそのものだな。
「この後悔を未来に役立てるぞ」と
当初の後悔は学びに思えても、
同じような悔いが度々重なれば嫌気も差してくさ。
「いつまでやってんだよ。
学ばないな、お前。」みたいな自分責めが始まる。
そんな自分責めで終わっては
また同じような後悔を繰り返してしまうだけだ。
こういった状態の時は
後悔が具体的になってなかったり、
積極的な行動予定に繋がってなかったり
頭だけで考えていることが主な原因だ。
つまり、
何をどう後悔しているのか具体的に書いて考え、
そして何をどうすれば後悔しないのか
具体的な行動を書き出すこと。
上記が終わったら
後悔も終わりにすること。
自分の「したい」や「やりたい」って
自分がちゃんと理解しているとは
限らないんだよねぇ。
終わってから「本当はしたかったんだなぁ」と
ハッキリすることは少なくない。
自分の「したい」を自分が叶えなければ
誰も叶えてはくれない。
一度も負けることのない金
最後の最後に負ける銀
3位決定戦で勝利しての銅
感じ方は随分違うよね。
第1志望以外すべて受かっている人と
どこにも受からず志望順位なんて関係なく
最後の最後で合格した人、
やっぱり感じ方は違うよね。
つまり、結果だけではなく
プロセスが大きく影響するんだよね。
ちょっとしたことで
小躍りしてみたり、
はたまた肩を落としてみたり。
異様に腹がすわる時もあれば、
いつまでも踏ん切りがつかない時もあって。
強かったり弱かったり
楽天的だったり悲観的だったり
サラッとしてたり執着してたり・・・。
まるで恋。
しかし恋じゃないなら
ちょっとアホらしく思えてこない⁉︎