自分の中心に戻る魔法の言葉
もちろん、使う人のメンタリティにはよるが
こんな最強な言葉はないのかもしれない。
私はわたし。
唱えてみよう。
どんどん落ち着きを取り戻す。
今、必要なことがわかってくる。
もちろん、使う人のメンタリティにはよるが
こんな最強な言葉はないのかもしれない。
私はわたし。
唱えてみよう。
どんどん落ち着きを取り戻す。
今、必要なことがわかってくる。
立場なんよね。
その立場になったら
私たちも同じことをきっとするんだよ。
立場が違うから考えることが違うだけで
それぞれの立場で、それぞれに頑張っていて、
それぞれの最高を発揮しようとしているんだよね。
その立場にならないとわからないことがたくさんある。
その立場になったらそう考えてしまうことがある。
だからこそ、
自分の立場、立ち位置は選んでいきたい。
それに、
その立場にならないとわからないことがある。
ということを理解しておくだけで
随分と変わるんだじゃなかろうか。
人生に恐れを感じる時は、
自信を失ってるんだ。
自信を付けなきゃ!というより
取り戻さなきゃ。
やってきたじゃないか。
充分にやってきた。
そう!どうにかこうにかでもやってきた。
今に至るまでに色々あったけど
充分、やってきてるじゃないか。
何でもかんでもうまくいくなんてことはない。
どんなにうまくいってそうに見える人だって
それは変わらない。
うまくいかなかった時、
どうするかが
大事なんじゃないのかな。
うまくいかなかった時、
投げ出してしまうのか
不貞腐れるのか
やり方を変えて再度やるのか。
自分への信頼が根を張っていれば
うまくいかなかったことを
自分の能力だけのせいにしたりせず、
方法に目を向けることができる。
できない自分のせいにして立ち止まるのは
もっとも安易な選択のかもしれない。
今、どうするか⁈なんだ。
過去がどうとか、
不安がどうとか
恐れがどうとか
そりゃ、あるだろう。
だからって
不安がったり、過去と同じように
振舞う必要はない。
今、どうしたいかだ。
ダブルショックにトリプルショックといった、
えぇ〜っ、、、て叫びたい時がある。
お前もか…と追い討ちを
かけられるような
立て続けにダメ出しを食らうような時。
そういう時こそ意味がある。
ただ落ち込んで
起こった出来事を解釈し直さないのは
もったいない。
この点はいずれ線になる。
とすれば…で解釈のバリエーションを持とう。
現時点では出来事の意味はわからないなら
都合のいい、自分がやる気が出る解釈をしておこう。
今はそれでいい。
「考える」を考えてみる。
「考える」最初のステップは
事実と解釈を分けること。
事実が明確になったら次は、
考えれば結果が変わるものと
考えても結果が変わらないものに分ける。
考えても結果が変わらないものでも
心配でつい考えてしまうものはあるが、
ある程度の時間を費やしたら切り捨てる。
最後は考えれば結果が変わることの中には
自分が作用できることと
自分が作用できないものがあるので
自分が作用できるものに集中する。
すると
今やれることだけを取り扱うことになり、
結果、決断する。
つまり、
考えるとは、
考えれば結果が変わることで
自分が作用できることを決断すること。
誰かと比較することが悪いことのように言われるが、
それは違う。
比較することが自分らしく生きることを
邪魔する訳でもない。
誰かと比較しなければ
今の自分の立ち位置はわからないし、
比較するのは自然なことだ。
ただ、比較後どんなの行為を選択するかは
人によって別れる。
比較することで
意欲がさらに湧いたり、
目指す所がはっきりしたりする人もいれば、
落ち込んで何もやらなくなったり、
自分をダメだと決めつけたりする人もいるだろう。
比較そのものが悪いわけでは無く、
比較した後、その人が何を選択するかによる。
自分を責めすぎる人がいる。
責めすぎる時がある。
そんなにダメなんだろうか。
本当に何も出来てないのだろうか。
何と比較しているんだろう?
実際、よくやってる。
十分にやっていると今を認めたら
何がそんなにまずいのだろう。
一体、何を恐れているのだろう。
夢中にやっていると
誰かはわからないが、
妙にきちんと自分の耳に届く声がある。
昔聞いた声が蘇ることもある。
その声によってうまくいき出したり、
ブレーキになったり。
その瞬間を意識できたら流れは変わる。
誰かのうまくいき出す声になるよう、
言葉を心がけていたい。