傷つくこと
傷つくことを嫌い、
必死に回避しようとするが、
そもそも、
傷つくことはそんなにも恐れることなのだろうか。
傷つくことはよくあることで
ちょこっと軟膏でも塗っておけば治るもので、
そんなにも恐れる必要はないんじゃないのかな。
今までだって傷ついても生きてきたし、
これからも傷つくことはあるし、
無傷で生きるなんて幻想で、
生きることには傷つくことも含まれると心得れば
傷つくことを無駄に回避する必要も、
恐れる必要もないんじゃないのかな。
傷つくことを嫌い、
必死に回避しようとするが、
そもそも、
傷つくことはそんなにも恐れることなのだろうか。
傷つくことはよくあることで
ちょこっと軟膏でも塗っておけば治るもので、
そんなにも恐れる必要はないんじゃないのかな。
今までだって傷ついても生きてきたし、
これからも傷つくことはあるし、
無傷で生きるなんて幻想で、
生きることには傷つくことも含まれると心得れば
傷つくことを無駄に回避する必要も、
恐れる必要もないんじゃないのかな。
ひとつは、
その場の空気や目的を優先的に考えるから
周りの人の意見が気になったり、
自分にとって大したことないものは歩調合わせてしまう
といったもの。
もうひとつは、
自分がどう思われるかが気になるというもの。
これは全然違う。
上記は周りにベクトルが向いていて
下記は自分にベクトルが向いている。
落胆やショック、喜びも
期待値の高さに比例する。
例えば、
せめてここまでは!といった最低のゴールも
こうなったらいいな!といった最高のゴールも、
事実とのギャップに一喜一憂する。
大切なのは
事実をそのままに見ることで
自分の力を受け入れた上で
どうするか⁉︎といったその後の選択。
自分に厳しくした方が
成長できると思い込んでいる人がいるが
それはネガティブな自分を強化する。
優しく、ていねいに
接する方が実は成長は早い。
「厳しさ」の反対は「甘い」ではない。
ていねいにだ。
子どもの自分を育てるように
ていねいにていねいに自分に接すると
強い自分が育っていく。
森の探索と似ている。
森の中にいても、
全体はなかなか把握しづらいものだ。
森の中には、
素敵な湖があるかもしれない。
気持ちいい草原が広がっているかもしれない。
もしかしたら
足を取られてしまう沼も、
危険な崖もあるかもしれない。
そうやって自分がどんな森なのか
自分で自分を知ることは
自分を取り扱う上で大切な情報となる。
自分が最後まで付きあっていくのは、
自分だから。
人間関係にトラブルを抱えている人は
他者との関係性に問題があるように感じるが、
実は大概、自分との付き合い方が
うまくいっていない。
自分が自分とどう関わるか。
もっと上手な付き合い方を学ぼうよ。
あなたが死ぬまで一緒にいるのは
あなただよ。
少しづつ少しづつコトは進む。
毎日、わからない程度に変化していく。
同じ場所に居続けることはないけど
人は自分が停滞しているように
感じてしまう時がある。
全く動いてないように地図上で見えも
縮尺を大きくするとはっきりわかるように、
測る物差によって
出来事や自分への解釈は変わってしまう。
地図にもさまざまな縮尺度があるように
私たちもその時々によって
物差の尺度を変えてみると見えるものがある。
自分と世の中との折り合いをつけるのが
うまい人がいる。
自分の思いや願いと
現実や実情との折り合いのつけ方が上手だと
無理なくスマートにその場に入れる。
落ち着いていて自然体で
適切な判断ができる。
一方、折り合いが上手くつけれないと
固執して物事を全体から見れなくなってしまったり、
現実を受け入れられずイライラしたりと
不安定に身を置くことになる。
賢さとは
折り合いをつける力をいうのかもしれない。
やる気が起きないことに罪悪感を持つ必要はない。
いつもいつも前向きで
やる気に満ちていた方がいいのかもしれないが、
それは頭で考える理想で、
私たちは生きてるんだから
そうそう予定通りにはいかない。
予定通りにいかなかったからって
攻める必要もない。
今日はやる気が起きない日。
以上!
そういう日があるのが自然であることを
受け入れよう。
やる気が起きない自分も許してみよう。
人は分かり合えないものなんだなぁ。
共感しているつもりで
理解しているつもり。
生きてきた自分の全てを知っている人なんていない。
自分の気持ちさえ
時間が経たなければ気づけないことも多い。
分かり合えないからって落胆する必要はない。
そういうものなんだと心得た上で
さて、どうしていくか。