そんな自分、好きになれるの?
誰だって傷つきたくない。
誰だって嫌な目に遭いたくない。
誰だって寂しい思いはしたくない。
けど、
嫌なことを避けるための生き方って
どうだろう?
そんな自分、好きになれるの?
誰だって傷つきたくない。
誰だって嫌な目に遭いたくない。
誰だって寂しい思いはしたくない。
けど、
嫌なことを避けるための生き方って
どうだろう?
そんな自分、好きになれるの?
ゴールの設定が間違っていたら
いつまでも達成しないし、
仮に達成したとしても楽しくない。
あなたが設定しているゴールは
本当にそれでいいの?
それを得たいの?
得たらどうなると思っているの?
本当にそうなるの?
「これしかない!」といった選択にはふたつある。
ひとつは
多くの選択肢から最終選考したもの。
もうひとつは
「べき」が強くて
それ以外の選択肢に気づかないまま選んだもの。
「べき」が緩むと
選択できるものが広がる。
嫌なこと、苦手なことに対して、
前のめりに向かうのに有効なのが
「面白がる」こと。
面白がった途端に
気持ちが軽くなるのは
主観から客観に立ち位置が変わるから。
いろんな面白がり方があるけど、
私のお好みは
「人生から挑戦状が届いた『ゲーム』」といった捉え方。
残念なほど負けも多いんだけど、
「おもしろいやん!やってやろうじゃん」
となると、俄然やる気が湧いてくる。
あなたのそれ、
人生からの挑戦状じゃない?
出来ないことの原因は
やり慣れてないだけだったりする。
やっていれば
いつかできるようになるさ!といった
気楽さは「できる」を後押しする。
そこを言われると痛い…
嫌だ…
こういうの嫌い…
は、全部チャンスだ。
苦手で本当は避けたいところだけど、
踏ん張って補えば
あなたがさらに魅力的になるところ。
そのちょっとの得が何の役にたつの?
そのちょっとの傷を恐れてどうするの?
そのちょっとのことを重大視して
あなたの人生にどんなメリットがあるの?
木を見て森を見ずになってない?
堅実すぎる目標では
自分の枠は広がらない。
自分の能力に直面化することを
恐れていては
今の力がどの程度かもわからなければ
伸ばすこともできない。
「やれば出来る」は絵に描いた餅だ。
やってみてからが本当のスタート。
無謀な理想を追っていることに
人は気づけないものだ。
何が現実的なのか考える必要がある。
現実的に考えてもまだ
無謀な理想を追いたいとなると
「打ちひしがれること」が
目的と考えていいかもしれない。
イヤだと拒否れば
イヤなもので終わるが、
なぜイヤなのかを考えると
自分への学びが深まる。
なぜ今、目の前に現れたのか。
なぜ、嫌悪するのか。
なぜ私はそう感じるのか。
考えても何もないかもしれないけど、
見つかればめっけもん。
考えてみる価値はある。