
見えているのに見えていない vol.4887
見ていたのに
意識では見ていないということがある。
知っていたのに
意識では知らなかったということがある。
私たちは意識しないと
見えないし、わからない。

見ていたのに
意識では見ていないということがある。
知っていたのに
意識では知らなかったということがある。
私たちは意識しないと
見えないし、わからない。

「気づき」には恐ろしい一面がある。
気づいてしまったら…
気づく以前には戻れない。
変わらなければならない。
以前の自分を否定することになるかもしれない。
だからだよね、
何を気づかないように扉を閉めているの?

海は荒れているように見えても
深いところではゆっくりと流れている。
そんな海で例えるなら、
チャンスや運を引き寄せるといったことは海面で、
自分を最大に発揮するといったものは中深層で
自身を引き受けるが深海。
自分を引き受けることが
理解を超えて分かっているか。
それは成熟の一面だな。

心根は大概伝わる。バレる。
だから、バレないようにしよう!ではなく、
だから、バレても良いようなピカピカの心根にしよう。
そっちの方が気持ちいよ。

「結果、そうなんだから仕方ない。」と
事実を受け入れてみようじゃないか。
受け入れた時は落ちても次には必ず浮上してくる。
そして、
浮上した「わたし」は既に
バージョンアップした「わたし」になっている。
だって、
「受け入れたくないことを受け入れること」自体が
力が付くことだから。

「予定通りにはいかない」ことを
予定に入れとかなきゃいけない。
突発的なことに対処しながら
やはり、主体的に決めていく。
受動的かつ、能動的に。
そういった柔軟さを意識したいね。

伝えたいこと、
知ってほしいことなど
想いはたくさん溢れてきても
ひとつに絞ることが大事だ。
「つまり、何なのか。」
ひとつに絞ることで
何を大切にしているのか、
どう考えているのかがハッキリする。

いつの間にか身体が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じスピードの球が投げれる」
と思って投げたのにスピードに乗らない。
それどころか身体が痛い。
まずはストレッチしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないストレッチ。
だけど、
ストレッチなしに可動域は広がらない。
何より身体が硬いままだと怪我をする。
ストレッチして可動域を広げて、
それから筋肉をつけて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。
身体のストレッチは
大人の学びでいうアンラーニング。
アンラーニングは「学びほぐし」と言うらしい。
まさに身体のストレッチとおんなじだ。
上記の文を「大人の学び」で書き換えてみるよ。
いつの間にか頭が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じ鋭さの思考ができる」
と思っていたのに、鋭さに欠ける。
それどころか全くピンとこない。
アンラーニングしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないアンラーニング。
だけど、
アンラーニングなしに思考の可動域は広がらない。
何より頭が硬いままだと怪我をする。
アンラーニングして思考の可動域を広げて、
それから学びを深めて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。

私たちは「何のためにやっているのか?」を忘れがちだ。
だから、忘れない工夫が必要となる。
例えば、日々に結びつける。
歯磨き、ベットに入る、トイレ行くなど
毎日必ずやること、目につくものやルーティンと目標を紐づけるんだ。
洗面台に目標を書いた紙を貼っておけば
歯磨きのたびに思い出すことになるだろうし、
スマホの待ち受けにしていたら
開けるたびに目標を見ることにもなるだろう。
あなたの生活に合った目標を忘れない工夫をしてみよう。

経験したことであれば、
流れが見えたり理解が深かまったりするのだけど
経験していなければ全く見えない、
わからない。
同じ年数生きていても
それぞれ経験してきた分野は違うから
先が読める分野とそうでない分野が誰にでもあるよね。
経験したことのない分野に踏み込んでみる。
安定したところからあえて不安定なところへ。
これが自分を広げる手っ取り早い方法だね。