積極的受け身 vol.5016
自分の意思で決めていくことと
流れに身を任せることの両方が大切だ。
前者は主体的と言い、
後者は積極的受け身とでも言おうか。
決して自暴自棄な受け身ではない。
全てが自分の努力でカバーできるわけはなく、
仕方ないことが起こるもの。
仕方ないと諦めたことが全て
将来もずっとダメなわけではない。
それどころか、
あれがあってよかったと振り返れることも多い。
自分の意思で決めていくことと
流れに身を任せることの両方が大切だ。
前者は主体的と言い、
後者は積極的受け身とでも言おうか。
決して自暴自棄な受け身ではない。
全てが自分の努力でカバーできるわけはなく、
仕方ないことが起こるもの。
仕方ないと諦めたことが全て
将来もずっとダメなわけではない。
それどころか、
あれがあってよかったと振り返れることも多い。
目を閉じると筋肉や脳がリラックスして、
1時間に1分程度目を瞑るだけでも
疲れ目には効果的らしい。
「1分なら」と意欲が湧く自分に驚く。
5分と言われると、いや3分と言われても
長く感じているからだ。
1時間に5分程度で効果的と言われても
(目を瞑るだけなのに)やれる気がしないが
1分程度ならやってみようと思える。
今の時代のスピード感から
現代人はじっとしてられなくなっているといった話を
見聞きしたことがあるが
このことなんかはその例の一つかもしれない。
そもそも時間をかけることに苦手意識があったが
時間をかけて行うことに
積極的に取り組んでみることは大事かもしれないね。
敢えてじっくり行うことにチャレンジしていると考えれば
乗り越えれるかもしれない。
感謝とは恵まれていることにいかに気付けるかだ。
最悪だと思っていたのに
もっと最悪なことが出てきて
「以前のは全く最悪ではなかった、
いやむしろ、よかった方かもしれない」
と気づく経験をしたことがあるだろう。
つまり、
感謝できる力は気づく力に比例する。
十分恵まれているといった視点から
今を見ると有難いことだらけなのかもしれないよ。
高3ラガーマンの息子が試合で骨折。
急遽、入院手術となった。
花園に向けて頑張っていたのに
この怪我は彼の高校ラグビー引退を意味する。
彼の高校でのラグビーは終わったのだ。
終わりは始まりだから
彼は次が始まったということでもある。
次々と区切りがきている2022。
きちんと終わらせて
次をしっかりスタートしていこう。
そう捉えてみるとどうだろう。
人を羨む気持ちも
心配や焦りも意地悪な気持ちも
全て自然なもの。
あって当然な感情と思ってみると
自然とそういった感情が
流れていくことがわかるだろう。
感じ方も私たちは学習して身につけてきている。
学習して身につけたものは
学習して変えることができるのだから
感じ方も幅を持たせてみよう。
doingが出来ないことの言い訳に
beingを持ち出す人がいるが
doingが終わっていないのにbeingに進むことはできない。
beingを扱えば
全ての問題が解決することもない。
beingとdoing、thinkingにwillと
行き来しながら
総合的に深めていく。
自分の本当の気持ちを理解していないことは
思っている以上に多い。
自分が何を望み、何を恐れ、
どこに向かいたいのか、
はっきり出来たらそれだけで進むのにね。
進まなかったとしても
落ち着いてそこに居ることができる。
特別なことをやろうとして
普通がわからなくなってしまう時がある。
例えば、懸命に結果を出そうとした結果、
夜寝る、朝起きる、疲れたら休むが
出来なくなってしまっていたり。
傷ついたら泣く、
楽しかったら笑う…
など、普通のことが普通に出来なかったりする。
どこか「普通」を軽く見てしまうことがあるけど
普通を普通にするって
思っている以上に大切なことなんだよね。
結果を出すために変わることは大切だ。
しかし、
今のままでも結果を出すにはどうしたらいいかを
考えることも大切だ。
例えば、
こんな自分だからダメなんだ!
と責めるばかりではなく、
こんな自分でも結果を出すには?
と考えてみるといった具合に。
自分の思考をいちいち解説するのは苦手だ。
それって、
「笑いのツボはここなんだよ」って
説明するようなものでとても野暮に感じる。
だから、
説明が必要な相手から離れたくなる。
「わからない人」といったレッテルを貼り、
わかる人とだけ付き合いたくなる。
ただね、
いちいち説明するといった「対話」を避けないようにすると
すぐには難しいけど
分かり合える部分が必ず出てくるんだよね。
わかってしまうから困るという話もあるけど、
やるほどに「対話」する力もつくし、
応援し合える仲間も増える。
そういった大切さがわかれば
対話に対して
もっと前向きになれるのかもしれないね。