後になってから vol.5069
心配しなくていい。
ちゃんと意味があることが
起こっているはずだから。
ただ今は、全体像が理解できないだけで
点は必ず線になる。
線になっているのがはっきりわかるのは
随分あとになってから。
うっそうと雑草が茂っている場を
掻き分けるように歩いてきたところが
道になっていることに気づけるのは
通り過ぎた後を振り返ったとき。
心配しなくていい。
ちゃんと意味があることが
起こっているはずだから。
ただ今は、全体像が理解できないだけで
点は必ず線になる。
線になっているのがはっきりわかるのは
随分あとになってから。
うっそうと雑草が茂っている場を
掻き分けるように歩いてきたところが
道になっていることに気づけるのは
通り過ぎた後を振り返ったとき。
今週は、
月曜に東京に飛び、
火曜に京都、奈良
水曜深夜に博多に戻り、
木曜は締切に追われ、
金曜は昼から深酒打ち合わせ、
土曜は息子の花園予選決勝
日曜は大阪日帰り出張と、
コロナ以前の動きに近かった。
お会いした方々も
懐かしい方々から始めまして!の方まで
新旧入り混じっている。
今月に入って突然、
流れが変わる節目を迎えてる感がある。
いよいよコロナ禍だった3年を超えて
あたらしい世界が始まっていく予感。
さて、どう乗っていきますか。
昨日は花園予選決勝が行われ、
息子の高校は敗退してしまった。
高校3年間頑張ってきたラグビーが終わった。
彼らにとってターニングポイントとなる1日だった。
近くの大学では推薦入試が行われていたし、
今日は福岡市長選の投票が行われる。
これも運命の分かれ道だ。
人生の重要な局面に至るその日まで、
どう生きてきたか⁈が問われているんだよなぁ。
毎日投稿しているのこのブログは
前々から準備していても結局、
朝から書いている。
なぜなら、
目覚める時に湧いてくるものの方が
確実にまとまっているから。
寝ている間に脳の整理が進むことを実感する。
ブログに限らず、
いろんなことが目覚めた時にはっきりするね。
紅葉が進んでいる。
夏の終わり同様、今年の終わりを感じる季節。
I’m manyは本当だ。
You are manyも本当だ。
私には色んな私がいて、
あなたにも色んなあなたがある。
あなたが好きなあなたで、
私が好きな私で居れますように。
受講生が弊社の講座を
「血を流して進む侍のイメージ!」
と言っていた。
この言葉から受講生がいかに
自分と真摯に向き合っているかがわかる。
何十年も目を背けて来たのだもの、
向き合った時の衝撃は
刀で切られ、血が噴き出す感じがするのもわかるな。
じゃぁ何故、
その受講生は血を流しても受講し続けているのか。
それは、その後の自分が確実に違っていて、
痛みなくして成熟なしを実感しているからに他ならない。
この2時間でコレを終わらせる。
今日はここまでやる。
今週は最低、これを完了する。
といった具合に
短期的に区切った方がやり切れる。
やることが明確になるし、
達成感も味わえるし、
一つに絞った方が返って
たくさんのことがやれるものだ。
私たちが使える時間は限られている。
大切なものに使いたいね。
私たちは「場」に
作られてしまう面がある。
だから、自分を活かす「場」は自分で選ぶ。
誰とのどんな関わりが
自分がより強く、より優しく、より自由になれるのか。
誰にどんな関わり方をすれば
相手がより強く、より優しく、より自由になれるのか。
互いの持ち味や能力が
より自由に発揮される「場」づくりを意識する。
もうだめだ…と感じていても
意外とまだ間に合うことが多い。
この程度じゃダメだと思っても
その程度伸びているもので
諦めずにやって良かったと振り返ることは多い。
結果がはっきり出るまではわからない。
先に諦めてしまうのが最ももったいない。
意外とまだ間に合うんだよ。