やったことがないことはまるで霧の中 vol.5534
やったことがないことは大概、1回目は散々だ。
散々だけど、やれば理解が及ぶ。
2回目は1回目よりはうまくやれるが、
やはり散々に変わりはない。
ただ、1回目とは違うところに理解が及び、
理解する範囲が少し広がる。
やっと、ずっと言われてたことにリアリティをやっ持つ。
回を増すごとにどんどんつながっていく。
まるでその世界の霧が晴れていくよう。
やったことがないことは大概、1回目は散々だ。
散々だけど、やれば理解が及ぶ。
2回目は1回目よりはうまくやれるが、
やはり散々に変わりはない。
ただ、1回目とは違うところに理解が及び、
理解する範囲が少し広がる。
やっと、ずっと言われてたことにリアリティをやっ持つ。
回を増すごとにどんどんつながっていく。
まるでその世界の霧が晴れていくよう。
忘れたいのに繰り返し考えてしまう。
そういった固執した状態にある時は、
人は過去を向いて生活している。
現在が過去に覆われている感じだ。
この状態を打破するには意外とトラブルが役に立つ。
「過去を向いてる場合じゃない」と一気に今に向かう。
トラブルじゃなくても良い。
新しいことを始める、旅行の計画を練るでもなんでも良い
「こんなことやってる場合じゃない」が大事だ。
人の脳は同時に何個ものことを考えられない。
一つのことしか考えられないんだよ。
だから、その一つを何にするかを選ぶんだ。
誰に相談するかも
どの意見を採用するかもしないかも
最後は自分で決めている。
どんなにたくさんのアドバイスをもらおうと
自分で決めていくしかない。
例えどれも選べなくても
それはあなたが選ばないことを決めたこと。
自分の人生の責任は自分で取るしかない。
だからこそ、
自分が本当にやりたいことをやろうよ。
あなたはどんな人生を選択たい?
伝え方は工夫が必要だが
正直に伝えることは大切だ。
人は分かり合えないものだから。
誰もわかってくれなければ、誰のこともわかっていない。
自分のことさえわかっているとは限らない。
分かり合えないものという前提を承知で
だから伝えてみる。伝えていく。
イラっとする中には
本当のことが含まれていることが多い。
傷つくことの回避で、
見ないようにしてきた本質に
直面化させられるからイライラしてしまうのだ。
イライラはチャンスだ。
あなたが目を逸らしてきたものを
まざまざと見せられている可能性が高く、
見たくなかった事実を明らかに観ることが
あなたの可能性を広げることにつながるから。
自分のことが自分ではわからないものだ。
特にどう見えているのかはわからない。
自分の肉眼で自分の顔を見ることはでいないし。
だから「私」のことを尋ねてみるのことは大事で、
その際、尋ねる人は選ばなければならない。
リアルに時間を共にしている人や
ゴールに向かって共に歩いた人、
そして愛がある人がいい。
健康は失った時に
そのありがたさを実感する。
歩けて、走れて、座れるといった
ごく当然のようにできていたことが
いかに素晴らしいことだったか。
素晴らしいものを今すでに持っている。
充分ある!といったことを意識したら、
さてあなたは何をする?
できる!間に合う!
と言ってくれる人がいるだけで
勇気が湧いてくる。
まだ結果が出たわけじゃない。
無理だろうが、不可能だろうが
見通しでしかないのだから
力が湧く、好きな自分になれる方が大事だ。
意欲的になれる言葉を自分にかけていくことが大事だし、
そんな言葉をかけてくれる人が一人でもいれば
人は踏ん張れるんじゃないのかな。
今日で11月も終わるね。
年始を思い出せば随分、
いろんなものが変化している。
環境も、出来事に対する認知も、自分自身も。
終わりよけば全てよし!
しっかり終わらせていきましょう。
私がまだ30代の頃、
60代には見えないイキイキとした業者さんが
「体力は維持できるが気力がなくなる。」と話していた。
当時はそのギャップに驚いていたが、
50代を折り返す私も最近、それがわかる感じがする。
以前の若い頃のような意欲はどんどん無くなっていく。
体力が失われればさらに拍車がかかるだろう。
以前、歳をとるとケーキとか食べたくなくなる話を聞いて
「うっそだー!」と思っていたがそうなってきたと
ブログに書いたことがあるが、
60代の業者さんの話も今なら共感できる。
今やりたいことが今後ずっと続くとは限らない。
常ならずとは本当なんだよな。