過去の後悔は過去だけのものじゃないのかもしれない vol.5587
あの時、もっとこうしておけば…と
悔やむことがある。
例えば、
自信を持ってやっていれば…
もっと積極的になっていれば…
行動していれば…
といった後悔。
それって過去のことだけなのかな?
今に適用しなくちゃいけないんじゃなのかな???
そう思ったら
今を自信持ってやろう
もっと積極的にやろう
行動に移そう!
過去の後悔を二度と繰り返さない日々を過ごそう。
あの時、もっとこうしておけば…と
悔やむことがある。
例えば、
自信を持ってやっていれば…
もっと積極的になっていれば…
行動していれば…
といった後悔。
それって過去のことだけなのかな?
今に適用しなくちゃいけないんじゃなのかな???
そう思ったら
今を自信持ってやろう
もっと積極的にやろう
行動に移そう!
過去の後悔を二度と繰り返さない日々を過ごそう。
GOALまでの道筋がイメージできるだけで
人は冷静さを取り戻せる。
当然、一度でも経験していればイメージしやすいが、
例え未知のことでも
ただただ「どうしよう…」と右往左往しているより
手をつけるだけでぐっとイメージしやすくなる。
やることの大きさや期間には関係ない。
少しでも道筋が見えれば落ち着いて取り組める。
なぜ、あの人はあんなにも努力できるんだろう?
なぜ、あの人はすぐに行動できるんだ?
なぜ、あの人はあんなにも成功しているんだろう?
などが刺激になって自分が奮起できるならいい。
しかし、比較することで
自分のダメさを深める人がいる。
けど、そんなダメを感じている自分に
実は同じようなことを感じている誰かも居て、
結局は誰もダメじゃなくて。
人と比べないと自分が確認できないこと自体が
それでいいのか?って感じがしてこない?
ちょっとでいいんだよね。
なーんかほんのちょこっと「やれるかも!」
って感じられればやれるんだよ。
まぁやれるかどうかはわからなくても
逃げ出さずにひとまずそこにとどまることができる。
自信のカケラみたいなものが
見つけれたら必ずやれるから
カケラを探そう。
誰かが言っていたなぁ。
その人の本質を見たいなら、
その人を少し疲れさせるといいって。
確かに少し疲れただけで
不機嫌になる人もいれば
自分のことばかりになる人もいるから
疲れるときっと隠せなくなるんだよね。
少し負荷が加わると
別の面が見える。
人はごっちゃに考えがちだ。
例えば、
必要なことと欲しいことと
しなくちゃいけないことがぐちゃぐちゃになっていたり、
仕事の自分と家庭の自分、
娘や息子としての自分といった立場が
ごっちゃのままだったり。
ごっちゃのまま考えると
何が何だか訳がわからなくなって
考えることを放棄したくなる。
そうなっていたら少しだけ
分けて考えてみよう。
分けて考えるだけで驚くほど思考の整理がつくから。
人の話をよく聞ける人には
自分の話をよく聞いてくれる人がいる。
助ける人は助けられている必要がある。
与えることができない時は、
十分に与えられていない可能性が高い。
まず自分を救い、自分を満たすこと。
それが健全な「周りを満たす」ことにつながっていく。
何をしても何もしなくても
時間は容赦なく過ぎていく。
だから「取り急ぎ」やれることをやろう。
出来そうなものに手をつけよう。
やっているうちにノってくる可能性は高いし、
長く考えて出した答えが正しいとは限らない。
人生は実験。
やってみなけりゃわからないものさ。
いかに簡単に行動に移せる環境を作るかは大事だ。
手を伸ばせば届く範囲に何を置くかは選んでおきたい。
やらなければならないことが最も目につくように配置し、
やろうとおもったらすぐやれる準備は整えておく。
間違ってもデスクの上に気が散るようなものは置くべきではないし、
やろうと思ってからやり始めるまでに
時間がかかるようではやはりそこで挫けてしまう。
ふら〜と湧いてきた意欲を逃さない工夫は万端にしておこう。
あなたが自分を感じるのははどんな時だろう。
自分を感じる時は人によってさまざまで
例えば
勝った負けたに自分を感じる人もいれば
誰かに優しくしてもらったり、
認められたりする瞬間に感じる人もいたり、
情熱を傾けている時間に自分を感じる人もいるだろう。
あなたは自分を感じるためにソレをやっている。
としたら、
自分を感じる瞬間は本当にソレでいいの?
この構造を意識してみると、
自分の見え方も変わるよね。