何も言わずに許した父 vol.5512
21歳の私がインドに行きたいと言った時、
何も言わずにOKしてくれた父。
あの時、
親の気持ちを振り返りもしなかったな。
自分のことで精一杯だった。
親になってみると
よく許してくれたなと思う。
その当時は分からなくても
本質はいずれわかるんだよね。
その凄さや大きさ、
一方でその陳腐さや自己都合的思考も。
21歳の私がインドに行きたいと言った時、
何も言わずにOKしてくれた父。
あの時、
親の気持ちを振り返りもしなかったな。
自分のことで精一杯だった。
親になってみると
よく許してくれたなと思う。
その当時は分からなくても
本質はいずれわかるんだよね。
その凄さや大きさ、
一方でその陳腐さや自己都合的思考も。
私は取り繕えないほどのおっちょこちょいだから
合理的に進めたいと考えていても
トントン拍子で進むことがない。
日付を間違ってみたり、
大切なハードディスクをフォーマットしてみたり
スマホをどこかに置いてきたり。
無駄なく進む予定だったのに
結局、無駄だらけ。
無駄が多すぎて
無駄を取り戻そうなんて気にもならない。
それに大体、
無駄を取り戻そうと躍起になると
人は大切なものを掴み損ねる。
そもそも何が無駄になるかは意外とわからないし、
人生から無駄を一切省くなんてことはできないしね。
一見無駄にも感じることが意外な結果に
つながっているときも多いから
無駄だと判断する枠組み自体を疑ってみてもいいよね。
私が私を活かす。
私が私をイキイキさせる。
私が私を伸ばす。
私のことは私がやる!
そう決める。
自分の人生の主導権を誰にも渡さない。
「その手には乗らない」
と唱えるだけで冷静になれる。
他人の挑発に限らず、
いつものネガティブなパターンに引き込まれそうな時、
心の中で「その手には乗らないわよ」と唱えるだけで
「わたし」を保てる。
私たちは素直に受け入れたり反発したりと
誰が言ったかによって言葉への反応は変わる。
言葉そのものより
言葉を発している人への信頼度が
影響力に大きく関わっているから。
だから普段、
どのように過ごしているかが大事で、
結局誤魔化せないんだよなぁ。
スマホからPCに送った写真が変。
スマホもパソコンの調子も良くない。
ここで対処していなければ
大事な時に壊れるパターンになりそうだなぁ。
と感じて何もしなかったら想像通りになるパターンだ。
とわかっているのに何もしないパターン。
その繰り返すパターンはもうやめよう。
「いつか読みたい」本が積み上がっていく。
読むスピードより読みたい本を集めるスピードの方が
異様に早いんだよなぁ。
「いつか」という日はいつも遠い。
本に限らず「いつか」は
全てそうなんだろうな。
例えばイベントが終わった後の片付けには疲労感が漂う。
誰もが疲れている中、
片付けを手伝う人数が多いと主催者は助かる。
自分の疲労に目をやるか、
主催者の責任に目をやるか、
誰の視点で物事を見るかは大事だ。
辛い時は意外と
自分だけに目が向いているからだ。
ただ、どんなに人手がほしくても主催者が
「この人と一緒だと疲れる…」となれば
頼まれることはないだろう。
頼まれるのは見込まれているとも言える。
頼まれないのは「とっとと帰れるラッキー」
とは違うんだよねぇ。
時間が足りないと焦り
いろいろ端折って
バタバタとたどり着いたら
めちゃくちゃ余裕だったということはないだろうか。
こんなに時間が余るなら端折る必要はなかったと。
まぁ、遅刻するよりうーんと良いのだけど、
冷静に振り返るとわかる。
地に足がついていない時は
「これをやっとかなきゃ!」と考えていても
実際に動いていない。
そもそもの準備不足が
やはり最初の焦りを作っている。
こういった経験をしたら
同じような準備不足は避けたい。
やらなければならないことが頭に浮かんだらすぐにやること。
すぐにやれなければすぐにメモすること。
メモしたものはその日のうちにやってしまうこと。
ん?小学生の時に言われていたことのようなことだな。
探している時は見つからないのに、
別のものを探してたら
やたら見つけることがある。
例えば、セロテープが必要な時は見つからなかったのに
サインペンを探してたらセロテープがめちゃくちゃ出てきて、
集めてみたら計5個ぐらいあったとか。
中田英寿選手が以前、
「ボールに触れていない時間が大事」とおっしゃっていたが、
必要となる前の段階が大事なんだよね。