最高の発揮のために vol.5495
ワーク(発揮する)→休む(頭と身体を整える)→プランニング(ワクワク)→
ワーク→休む→プランニング→・・・
と、シンプルに書けばこの繰り返し。
最高の発揮を求めるなら
その前のプランニングが大事だし、
自分にフィットしたプランニングをしようと思えば、
休む(頭と身体を整える)ターンの必要性は増す。
つまり自分の「傾向と対策」が鍵で、
ただその自分は日々、変化していて、
だからこそ自分を深く知ることが基盤となる。
ワーク(発揮する)→休む(頭と身体を整える)→プランニング(ワクワク)→
ワーク→休む→プランニング→・・・
と、シンプルに書けばこの繰り返し。
最高の発揮を求めるなら
その前のプランニングが大事だし、
自分にフィットしたプランニングをしようと思えば、
休む(頭と身体を整える)ターンの必要性は増す。
つまり自分の「傾向と対策」が鍵で、
ただその自分は日々、変化していて、
だからこそ自分を深く知ることが基盤となる。
改めて大切にしていたものを見た時に
「なんでこんなものを大事にしてたんだろう?」って
ただの古いものになっていることがある。
思考やこだわりの基準も
時間の経過と共に変わっていく。
もう不要になったものはとっとと捨ててしまおう。
もっと大切なものを掴めるように。
吹き始めた新しい風はすぐにわかる。
こっちか!といった導かれる感じがするから。
そうしたら躊躇している暇はない。
迷わず帆を上げていけ!
悲しみがない人などいない。
希望や夢、愛があるところには悲しみがあるから。
光を持つことは同時に影を持つことだ。
ただ、悲しみの経験は私たちを研磨し、
深いところに率いてくれる。
その人がその人である所以になっていく。
所作や外見は侮れない。
自分に強く影響していくから。
ゆっくり動くだけで
丁寧な気分になってくる。
ちょっと服装に気を使うだけで
気持ちがしゃんとする。
一方で
バタバタ動いしていると忙しないし、
雑な選択は雑に拍車がかかる。
だいたいそうなんだよね。
行くのが面倒でも
行ってしまえば楽しくて、
あれこれ考えて先延ばしするより
手をつけた方が俄然すっきりする。
散々経験しているのに…ね。
「敵は逃げると大きくなるけど
向き合うと小さくなる」ってモモの時間泥棒だったっけ。
「最高の集中力は最高のリラックスから生まれる」
的なことを読んだのは
スポーツ漫画『エースをねらえ』が最初だったな。
私たちは休むことや立ち止まることを恐れがちだが
休む時と集中する時の両方が、
いい仕事にもいい人生にも大切なんだよな。
同じ行為をしていても
影響力が違ってくるのは目的の違いからだ。
行為は見えても目的は見えない。
ほんのちょっとの目的の違いが
先々、大きな差となっていく。
例えば、似合う服装というのは時の経過とともに変化する。
どんなに気に入った、ぴったり合っていた服でも
フィット感が無くなってしまうことがあるよね。
そんな時、今の自分に合う別の服装を探そうとはしても
似合わなくなった自分をダメだと判断したり、
古くなった服装に自分を合わせようとはしない。
服ならよくわかる。
だけど、
以前から目指していた目標や面白みを感じて始めたものの
つまらなく感じているのに、
そう感じる自分がダメだと考える人がいる。
古くなった目標に自分を合わせようとしている。
何故だろう。
服と同じで
今の自分にフィットしなくなっただけのことなのに。
全ては気づくことから始まる。
多くの気づきを得るために大切なのは違和感。
違和感を持つためには
「きっとこういう返事が返ってくるよね」
「こんなふうになるんだろうな」といった
仮説を持っている必要がある。
仮説でも判断軸があればそのズレに気づける。
当然、判断軸そのものがズレいるケースもある。
だからこそ違和感を大切にして
その違和感の元を探っていく必要があるんだよなぁ。