「違い」によって際立つ vol.5507
白だけのときは
それが白だとは気づけないが、
そこに黒が1点入ると
白を白だと認識する。
つまり「違い」がなければ私たちは識別できない。
慣れ親しむほどに観えなくなる。
白だけのときは
それが白だとは気づけないが、
そこに黒が1点入ると
白を白だと認識する。
つまり「違い」がなければ私たちは識別できない。
慣れ親しむほどに観えなくなる。
出来る出来ないに関係なく、
始めるのに気乗りしなかったり、
できれば避けて通りたいといった想いが湧く時は、
対象に対して「苦手意識」を持っていることが多い。
そういった感情が「苦手意識」だと名前がつけば、
それは克服できる。
別に何をどうされた訳でもないのに妙に鼻につく、
相手のやることなすこと気に食わないといった感情が湧く時は
「妬み」を抱いていることが多い。
そういった感情が「妬み」だと名前がつけば、
それを取り扱うことができる。
その感情や感覚に名前がつきさえすれば
次に進めるんだよ。
うまくいく時とそうでない時の違いは
自己内対話にある。
うまくいかない時は
「ちゃんとやれよ」
「間違うなよ」
と厳しい自分と対話している。
一方、うまくいく時は
「半歩でも前に進もう」
「やってみるだけでも得るものはある」
と援助的な自分と対話している。
あなたの中にはどっちの自分が強く登場してる?
選択問題では選択肢が少ないほうが嬉しい。
3つや4つの候補の中からひとつを選べばいいから。
仮に選択肢が20個あったら
「これって選択問題???」と戸惑ってしまう(汗)。
一方、人生では選択肢が多いほうが自由が増し、
幸せが増すと私たちは思い込んでいる。
しかし、
選択肢のパラドクス(the paradox of choice)
「選択肢は全くないよりもあった方がいいが、
多ければ多いほどいいわけではない。」
と言ったのはアメリカの心理学者バリー・シュワルツ。
選択肢のパラドクス(the paradox of choice)選択肢が多すぎると
困惑しやすくなり、選択後に後悔しやすくなること。
試験問題で考えるとわかりやすいよね。
選択肢が多すぎると
冒頭の態度「選択問題???」とげんなりし、
あれもこれも正解のように感じて困惑し、
選んだ後も「あっちがよかった???」と
迷いや不安といった後悔が生じやすい。
あなたはこのパターンに陥ってない?
私は「何を」「どこで」以上に
「誰」を大切にする。
「この人に出会えてよかった〜」といった
救われた思いを感じさせてくれる人たちとの出会いのおかげで
今の私がいるわけだが、
この本の著者もそう感じさせてくれるおひとり。
ぜひ「おわりに」から読んでいただきたい。
文学・文芸の本ではないのに
著者が語りかけてくるようだから。
人生の彩りは心の震え具合で変わる。
同じものを見ても、
感動する人とそうでない人がいる。
情報を情報としか処理していなければ感動することはない。
感動には、情報と感情を結びつける力が必要で
「さもありなん」ではなく
「ありがたい」と観ることができるかどうかが
ポイントな気がする。
感動と感謝には通じるものがあるんじゃないのかな。
結果がどうなるかはわからない。
私たちには作用できないところもある。
ただ、やり切るかどうかは
自分だけで決めることができる。
まずは自分が作用できる範囲を
やり切ることに全力で向かってみようじゃないか。
偏らないようにちゃんとできているんだな。
傾けば不具合が出て
バランスが取れるようになっているんだよね。
だから心配しなくていい。
ダメな時はダメってことが起こっていて
それこそが軌道修正できるチャンスなんだ。
ちゃんとアレンジされてる。
型破りとはWeblio辞書によると
「一般的、常識的な型や方法にはまらないこと。
また、そのようなやり方であるさま。」とある。
型ができていないことには型破りはできない。
それもただ型をやれるだけでは、
型を破る適切な時がつかめない。
奇をてらうことなく型を破るには
常に思考しながら型を鍛錬すると共に
意識せずともやれるほど型を身につけておく必要があるんだよなぁ。
やらなくちゃいけないことが盛りだくさんで
頭がグジュグジュしている時は
まずは書き出す。
何をどうしなければならないのかを
書いているうちに
だんだんと頭と心が整理されていく。
やるべきことが明確になる。