こういうのが希望 vol.5548
基本的に、
「はっ」とする気づきや学びを得れる時間になるように!
といった想いで講座はやっている。
出来れば「面白く楽しく学べる」がいい。
感情を扱う以上、
笑い飛ばしてばかりでは成り立たない場面も多いが、
大して重要でもないことを深刻に伝えるなんて
好みじゃないし、
よくよく本質を理解していなければ
面白楽しく話はできないと思っているから。
大切なことが心の折にすーっと入るように、
笑いは交えていきたいなぁ。
基本的に、
「はっ」とする気づきや学びを得れる時間になるように!
といった想いで講座はやっている。
出来れば「面白く楽しく学べる」がいい。
感情を扱う以上、
笑い飛ばしてばかりでは成り立たない場面も多いが、
大して重要でもないことを深刻に伝えるなんて
好みじゃないし、
よくよく本質を理解していなければ
面白楽しく話はできないと思っているから。
大切なことが心の折にすーっと入るように、
笑いは交えていきたいなぁ。
やらなくちゃ…と思いつつ、
なかなか手をつけれなかったことでも
必要に迫られればやれるもの。
例えば仕事でも勉強でも、
苦手だからと避けてきたことも
追い込まれればやるんだよね。
ということは、
そういった状況づくりを人生に
うまく取り入れるのは苦手克服の方法のひとつってことよね。
やらねばならない状況に追い込まれ、
やってみたことで本質を掴み、
やりたいことに変わる可能性だってある。
というか、まさにピンチっていうのは
克服のために与えられた神様からのチャンスなんだね。
Merry Xmas!
いいの、いいの。
旅の恥はかき捨てって言うでしょ。
人生は旅なんだから
人生の恥もかき捨てなんだよ。
恥をかいたってことはチャレンジした証。
そもそもみんな、自分のことに夢中で
人の恥なんて覚えてもいないんだから。
昔、おばあちゃんがいろんなものに手を合わせて
感謝していた姿を思い出す。
幼稚園児の私にはどこか不思議だった。
なのに最近、
すぐに手を合わせている自分に気づく。
それは、
感謝したいほど追い込まれているのか、
おばあちゃん度が加速しているだけなのか、
その両方なのかは不明だけど、まぁ有難い。
このブログだって、辞める時期を考えつつ、
5545号と15年ほど毎日書かせてもらっていることに感謝して
思わずパソコンに手を合わせてしまう。
やっぱ…おばあちゃん度が加速してるのは確実だな。
今年は干し柿づくりデビューしたしね。
今日は冬至。
陰極まって陽となす、一陽来復。
冬至の日は
南瓜(なんきん)、うんどん(うどん)、蓮根(れんこん)、
寒天(かんてん)、人参(にんじん)、銀杏(ぎんなん)、金柑(きんかん)
などを食べよう!
「ん」が2個ついてるから
運がたくさん舞い込むんだって。
生活を楽しんでるよなぁ。
私は好きなものだらけ〜♪
何もかも自由だったら…と考えがちだが、
実はそれじゃつまらない。
やっぱり、
サッカーは手が使えないから面白い。
ルールがあるから工夫が生まれる。
期限があるからそれまでに達成できる。
縛りがあるから克服できたときはたまらない。
そげん、なんもかんも同時にはできん。
苦手なことに取り組む時は尚のこと。
やらなくちゃいけない課題があるなら
それに取り組むしかない。
お菓子食べながらなら取り組めるなら食べよう。
ダイエットは課題が終わってからだ。
一人じゃないと出来ないなら友人の誘いは断ろう。
今はやるべきことに手をつけることが優先。
課題を乗り越えるために諦めたことは、
全てが終わってから取り返せばいい。
しゃーないやん。なんもかんも同時にできん。
人は本当に見たいようにしか見ていないし、
聴きたいようにしか聴いていない。
あなたの現実はあなたが創り出している。
なら、自分はどういった風に
現実を見聞きしたいと思っているのかといった
自分のフィルターを確認する必要がある。
そのフィルターが歪んでいれば
見るものも聞くものも歪んでしまうし、
フィルターがフラットであれば
フラットに見聞きできる。
「わたし」を知るには
自分に向き合う必要がある。
ただ、向き合っているだけでは
「わたし」を知ることはできない。
人と話したり活動したり
違うものや未知のものに触れることが大事だ。
白は白だけでは白だとわからないが
黒が1点入っただけで
白を白だと意識できるから。
だからって活動だけでも
「わたし」を知ることはできない。
こういったことをデューイは学習と呼び、
そこで中核とされた概念が経験と内省の両概念。
(中原淳『経験学習の理論的系譜と研究動向』より)
このサイクルは自分を知るためのサイクルと同じ。
自分を深く学ぶにも経験と内省の両輪を回していくことが大切なんだ。
私はかなりのおっちょこちょいなので凡ミスも多い。
だから、人のミスに対して寛容だ。
一方で、寛容になれない対象も当然ある。
それは私が大切だと感じ、
普段から大切にしてきたものだからだ。
寛容になれるものとそうでないものは人によって違う。
そして、この寛容になれるものとそうでないものの違いが
価値観の違いだ。
価値観が違う人と付き合っていくには
その人の価値観を理解する必要がある。
それは時間とエネルギーを要する。
だから、そんなエネルギーを使う必要がない、
価値観が近い人の方がラクなんだ。
ただ、価値観が違う人に触れると
新しい価値観を理解することにつながるので
自身の幅が広がったり、
自分の中で新しいものが生まれたりする。