
終わりの時間
習得することも忘れることも
何をやるにも時間がかかる。
時間には明確な限りがあるからこそ
シビアに大切だ。
誰かと時間を共にする際は
互いの時間を大切にしたい。
例えば、会議や打ち合わせなどは
始まりの時間を守ることはもちろんだけど、
終わりの時間も明確にする必要がある。
終了時間を明確にすることで
やるべきことも明確になり、
互いの時間を大切にすることにつながる。

習得することも忘れることも
何をやるにも時間がかかる。
時間には明確な限りがあるからこそ
シビアに大切だ。
誰かと時間を共にする際は
互いの時間を大切にしたい。
例えば、会議や打ち合わせなどは
始まりの時間を守ることはもちろんだけど、
終わりの時間も明確にする必要がある。
終了時間を明確にすることで
やるべきことも明確になり、
互いの時間を大切にすることにつながる。

【人間は、自分が他人より劣っているのは能力のためでなく、
運のせいだと思いたがるものだ。】
とプルタルコスは言ったらしい。
なるほどね!
頑張らなかった言い訳を運のせいにするんだ。
すると、
運が気になって仕方なくなる。
運気が良い時期を迎えると、
この程度なの⁈と運を意識しなくなるのも合点。
あぁ…完全に運の活用の仕方を間違っているな。

「自分を丁寧に扱う」となると、
自分の気持ちに正直に!とか
自分の思いを伝えることなどが浮かびやすい。
ただ、
いきなりの内面変更はちょっと難しい…
と感じるなら、
丁寧な生活から始めるといい。
丁寧に生活することは
自分を丁寧に扱うことになる。
例えば、
時間をかけてゆっくりと食事することも
自分を丁寧に扱うことだし、
帰ってきて
脱いだ服をきちんと掛けることも
部屋を綺麗にしておくことも
やってみるとわかるが、
精神的にとても良い。
私はお弁当を持って行く自分が好きだし、
タクシーを使わず、
バスや電車で移動している自分も好き。
丁寧な生活は自分を大切にしている感が増す。

「じっくり」が苦手な私は美術館に行っても、
さーっと見てしまって
「へ〜ぇ」で終わってしまうことも多い。
芸術がわかることに憧れはあるが、
知識も不足しているし、
名画を見ても足がその場から離れられない
といった感動を覚えたこともあんまりない。
それでも時間を作って見に行くようにしている。
良いものを見る効用はなんだと思う?
本物を見ていると
本物の良さがわからいとしても
偽物がわかるようになるから。
それは美術に限ったことじゃないよね。

息子が部活で頭を打ったと言うので、
念のため救急病院へ。
軽い脳しんとうで大事には至らなかったのだけど、
CT検査の結果を待ってるとどんどん来る救急車。
こんなにも?!
救急車の後からタクシーで駆けつける身内の方々。
普通に生活できていることは
普通じゃないんだな。
いつ何時、どうなるかわからない。
というあったり前のことを
改めて感じてしまう。

無理はまだ効く。
若い頃のようにはいかなくてもまだまだ踏ん張れる。
しかし、
リカバーがスムーズにいかない。
何日もかかってしまう。
通常に戻るのに
大量の時間がかかるとなると
計画通りにコトを進めた方が
ギリギリになって終わらせるより
肉体的には楽じゃないか?と思うほど。
規則正しい生活をしなければ!から
どんどん
規則正しい生活をしていた方が楽だ!
に変わっていく。

努力=我慢、辛い
といった認知を持っている人は少なくない。
それは努力の木になる果実の旨みを味わったことがないだけ。
やるべきことをやらずに休んでいても
休んだ気にはなれないが、
やるべきことをやっている時は
例え苦しい時間があってもやっぱり清々しい。
努力=辛いのは最初だけ=努力した分、自分が伸びる=楽しい!
つまり、
努力=楽しい
なんだよ。
努力の先にある喜びを知っていれば、
努力は楽しいものでしかないんだよね。

あなたは何に幸せを感じるだろう。
毎日に少しでも幸せを感じる時間があるだろうか。
何も幸せを特別なことに限定する必要も
状況に委ねる必要もない。
あぁ…しあわせ〜!と
心に沁みるような時間を日々に持てているか、
そうじゃないかでは
その人の人生は随分変わってしまう。
自分の幸せの主導権は自分で握る。

〜でなければならない。
〜あるべきだ。
といった見えない枠の中で生きていることがある。
意欲を抑圧している人間はすぐにわかる。
イキイキしてない。
疲れているように見える。
口がへの字になっている。
自分が生きたいように生きて
疲れているのならまだしも
自分がやりたいことを抑圧して
疲れてしまっていてはもったいない。

場面だったり香りだったり、人だったり、
ちょっとしたことがきっかけで蘇る痛みがある。
時間が経っていても傷がうずくということは
癒えてないというより
その傷は癒えることがないのかもしれない。
それはそれでいい。
ずっと持っていこうじゃないか。
傷の一つや二つや三つや四つ、
誰もが持って生きている。