実態は? vol.4988
さらに悪いことが起こると
悪いと思っていたことは
意外と良かったんだとやっとわかる。
自分の努力より
うーんと努力している人の笑顔を観て
自分は何をやってたんだと恥ずかしくなる。
こんなの無理だよぉ…と思っていたのに
その程度じゃアマチュアすぎる現実に直面して初めて
覚悟が足りなかったと知る。
比較して初めて実態がわかるなら、
何と比較するかで
実態も変わってしまうね。
さらに悪いことが起こると
悪いと思っていたことは
意外と良かったんだとやっとわかる。
自分の努力より
うーんと努力している人の笑顔を観て
自分は何をやってたんだと恥ずかしくなる。
こんなの無理だよぉ…と思っていたのに
その程度じゃアマチュアすぎる現実に直面して初めて
覚悟が足りなかったと知る。
比較して初めて実態がわかるなら、
何と比較するかで
実態も変わってしまうね。
最適なタイミングってやつがある。
どれだけやってもダメだったのに
タイミングが合って
とんとん拍子に進んだ♪といった具合だ。
もちろん最初からバッチリ
タイミングが合うこともあるけど、
「どれだけやってもダメだった」経験によって
タイミングを測る力がつくこともある。
ただ、どうであれ
そのタイミングが最適かどうかは
やってみないとわからないんだよねぇ。
「返報性の法則」と呼ばれる、
与えられたエネルギーと同等のエネルギーを返したくなる心理が
人にはある。
誰もが見えないエネルギーのバランスを感じているのだろう。
良い人間関係のエネルギーバランスは50:50。
与えるばっかりでももらうばっかりでも
良い関係は保てない。
与えたエネルギーに見合うエネルギーが返ってくるかどうかは相手によるが、
与えられたエネルギーに応えるエネルギーを返すかどうかは自分次第。
しっかり返せる自分でいたいね。
「人間関係は化学反応」
と言ったのはユングだったかな。
私たちは関わる人との相互作用によって変わっていく。
自分が思う自分や、
自分がやりたい生き方になるような作用をする人もいれば、
自分が思う自分にはならない、
やりたい生き方とは違うような作用をする人もいる。
だから、
「付き合う人を選ぶ」必要があり、
それは
「自分の生き方を選ぶ」ことも通じていく。
ミードだったかな⁈
期待されていると感じる役割と自分とのせめぎあいの中で、
自分が形づくられていくと言ったのは。
自分の中にはさまざまなせめぎ合いが起こる。
ミードによると
そうやって自分が形作られていくのだけど、
せめぎ合いはやっぱり疲労するので、
自分が形作られていくと同時に大切なことは
せめぎ合いながらも自分を保つこと。
生きていれば
良い時もあれば、悪い時もある。
良い時はたくさん人も寄って来れば
良い話も集まってくるが、
その人の本質がわかるのは悪い時だ。
流れが悪い時にどういった態度を選択するかが
ポイントで、
その後の流れにも影響する。
変化の期間が習慣の変容ではなく
我慢で乗り切るスタイルであれば、
そりゃ、終わったら元通りさ。
自分の「普通」を変えていくことなんだよなぁ。
問題を深刻化するクセがあるのかもしれないね。
行きすぎた内省は
そこから導かれる教訓を歪ませる。
さっきまで深刻だった問題も
もっと深刻な問題が出てくれば
些細なものに様変わりする。
それに当時、
問題だと深刻になっていたことの多くは
10年後、問題じゃなくなっている。
実際、大抵のことは乗り越えてきているし、
そう大問題にもならなかったじゃないか。
事実を見直してみよう。
見ていたのに
意識では見ていないということがある。
知っていたのに
意識では知らなかったということがある。
私たちは意識しないと
見えないし、わからない。
「気づき」には恐ろしい一面がある。
気づいてしまったら…
気づく以前には戻れない。
変わらなければならない。
以前の自分を否定することになるかもしれない。
だからだよね、
何を気づかないように扉を閉めているの?