人生の流れを変える
どんなにじっとしていても
もう一人の自分が自分を責め続ければ
極端に疲労する。
横になっていても
動いていても
24時間365日つきまとうもう一人の自分が
何と言ってきているのか。
その声を意識できたなら
人生の流れを変えることができる。
どんなにじっとしていても
もう一人の自分が自分を責め続ければ
極端に疲労する。
横になっていても
動いていても
24時間365日つきまとうもう一人の自分が
何と言ってきているのか。
その声を意識できたなら
人生の流れを変えることができる。
そりゃ、自信も失うさ。
自分がどうしようもなくダメに思えてくる。
やれる感覚を思い出そう。
自分の得意や好きな分野、
頑張らなくてもやれてしまうものに
時々戻ってみる。
苦手なものに敢えて
取り組んでいたことを思い出す。
そんな頑張っている自分を労う。
ある出来事が
あなたを苦しめているように感じているかもしれないが、
そうじゃない。
あなたを苦しめているのは
出来事への解釈だ。
出来事を自分になんと
説明しているんだろう?
解釈の幅を広げると
どういう解釈があるだろう?
腹にストンと落ちる時がある。
逆に、
散々考え、
散々色々やっても、
腹に落ちない時がある。
頭でわかっているのに
腹落ちしていないのは
納得できていないからだ。
納得できるかどうかは、
そのことを受け入れているかどうかで、
別の言い方をすると、
事実を認めているかどうかだ。
それはある意味、
こうあってほしい自分を諦めれるかどうか。
こういった構造がわかっているのなら
とっとと諦めてしまえばいいと考えるかもしれないが
思考通りにいかないのが人の常で、
諦めるのには時間がかかるんだよねぇ。
苦手なものと得意なものでは
捉え方にずいぶん差がある。
例えば、
料理が苦手で、スポーツが得意なら、
料理がうまくできない時は
スポーツがうまくできない時に
置き換えて考えてみる。
失敗した時、
苦手な料理なら「才能がない…」になっても
得意なスポーツなら
「やりかたが違ったかな?!」となるはずだ。
辛抱が必要な時、
苦手なことは
「これやる???」と後ろ向きでも
得意なことなら
「これを乗り切れば!」と前向き。
やれることとやれないこと、
やれる時とやれない時は
思考がすこーし違っているだけ。
苦手なことを克服するには
得意なことと「思考」をリンクさせる。
傷ついてるのに
傷ついてることを自分に許さない人がいる。
傷ついている自分にさらに
追い討ちをかける人がいる。
傷つくことは誰だってある。
そうは見えない人たちだって傷を負っている。
あなただけじゃないし、
かすり傷も無数に受ければ
身体へのダメージは大きくなるさ。
だから、
傷ついていることは悪いことでも
ダメな証でもない。
痛みに許可を出そう。
傷の手当てをちゃんとしよう。
心配しなくてもいい。
何だって終わりは来る。
あなたが苦しんでるそれも、
あなたが喜んでいるそれだって
いずれ終わるんだよ。
終わらないものは無いから大丈夫。
自分の願いや希望を感じては打ち消す。
感じなかったことにする。
そんなパターンを繰り返してないかな?
人生の目的が
傷つくことの回避になってないかな?
誰だって
傷つくことは回避したいものだけど
それが人生の目的で本当にいいかな?
あなたの、
そもそものwantはどこ?
心が触れるものも含めて
直接、自分に触れるものは大切にしたい。
例えば、言葉。
なんか…わざとらしく感じるから
アファメーションとかはあまり得意じゃないけど、
触れる言葉は大切にしたいと思っている。
影響を受けるとわかっているのに
それをぞんざいに扱う気にはなれない。
例えば、付き合う人。
断れない付き合いも当然あるけど、
誰と付き合うか、
誰と長い時間を共にするかは選びたい。
付き合う人によって変わる一面が
人にはあるのだから
良い影響を与えあえる人と付き合いたい。
例えば、環境。
ミニマリストではないし、
それを決して望んでもないけど
整理された環境でありたい。
気がかりがたくさんあるような状態では
エネルギーが削がれるので
どこに何があるか、
今、何が必要かがすぐにわかる自分でありたい。
普段、無自覚にいろんなものに触れている。
ひとつひとつ、整えたいね。