どっち向き?
同じ出来事でも
あなたがどっちを向いているかで全く別物になる。
どうしよう…と出来事に背を向けて
逃げるような弱気だと
恐ろしくて仕方ないがなく感じることも、
ヨッシャ!来い‼︎と
出来事に向かっていく気持ちだと
平気だったりする。
出来事に向きあうと
本当の大きさがよくわかる。
大概、背を向けて逃げてる時に感じる大きさより
うーんと小さい。
起こったものは仕方ない。
今、あなたが選べるのは向きだ。
向きあってみようぜ⤴︎⤴︎⤴︎
同じ出来事でも
あなたがどっちを向いているかで全く別物になる。
どうしよう…と出来事に背を向けて
逃げるような弱気だと
恐ろしくて仕方ないがなく感じることも、
ヨッシャ!来い‼︎と
出来事に向かっていく気持ちだと
平気だったりする。
出来事に向きあうと
本当の大きさがよくわかる。
大概、背を向けて逃げてる時に感じる大きさより
うーんと小さい。
起こったものは仕方ない。
今、あなたが選べるのは向きだ。
向きあってみようぜ⤴︎⤴︎⤴︎
自分の可能性をどう評価するか、
これは結構な課題だ。
低い評価は
「どうせ」という言葉とセットで、
やらない言い訳にはなるが、
成せることは限られてしまう。
高すぎる評価は
「思いがけず」「ひょっとしたら」といった言葉とセットで、
努力をし続けなければならないが、
意外な良い結果になる可能性がある。
「自分の可能性の評価は難しい課題」と書き始めたものの、
こりゃ、低い評価より高い評価の方が良いのは明確だな。
同じことをやっていても、
「やりたくてやっている」か、
「やる必要を感じてやっている」か、
「やらなければならないと思ってやっている」か、
では、
結果は随分と違ってしまうだろう。
本人が自覚していなくても
周りから見ればその違いは一目瞭然だ。
ただ、
「やりたくてやっている」のに
「やらなければならない風」でやっている人もいれば、
「やる必要」を感じてやっているが
その先の「やりたい」に目を向けている人もいる。
どうだろう。
一度、やらなければならないと嫌々腰を上げているものをやめてみて、
やりたいことだけを残したらどうなるか想像してみたら。
あなたは日々、
どのやり方にエネルギーを費やしているんだろう?
もし、やりたいことだけをやるように決めたら
日常はどう変化するんだろう?
それともほとんど変わらないのかな。
冷静に考えればそう大したことじゃないのに
大層に扱うと
その日はそのことだけでいっぱいいっぱいになる。
大層に扱って出来ないと絶望を感じる。
振り返ると大概のことが大層ではないのに、
大層に受け取ってたりする。
真剣さはドキドキワクワクで楽しいけど、
深刻さはアップアップでちょっとは違うな。
椅子にゆっくりと腰掛け、
目を瞑り、深呼吸をする。
思考をちょっとだけ脇に置き、
今は頭を空っぽにする。
すると気付けるよね。
いかに普段、
あれをしなきゃ!
これもしなきゃ〜!
考えなきゃ!!!
ボーっとしてちゃダメ!‼︎
と思っているかに。
これだから私はダメ!と決めつけないで。
そんな自分でもやれる方法があるかもよ。
例えば、
暗記が苦手だからこれは無理と思っているのなら
暗記な苦手な私でもやれる方法を探る。
例えば、
積極的でないから出来ないと思っているのなら
消極的な私でも出来るようになるやり方を探す。
すぐには出来なくても
1年後なら出来るやり方があるかもしれないし、
集中的にやることは無理でも
ちょっとづつならこなせるかもしれない。
こんな自分でもやれる方法を探ってみよう!
復讐したいやつがいる。
見返したい奴がいる。
それもいいねぇ!
怒りはパワフルな感情で自然なものだけど、
復習の作戦は選びたいね。
「あなたのせいで私の人生はこんなふうになった!」と
罪悪感を相手に持たせるやり方はあまりいい手とは思えない。
なぜなら、
もし相手が不幸な状態のあなたに罪悪感を持たなければ
復讐にならないし、
あなたの人生の浪費になってしまう恐れがあるから。
一方、
「私は非常に幸せです!
あなたがどんな汚いことを私にやっても
私の人生には全く影響ありませんでした。」
といった作戦は悪くないと思うんだけど、どう?
例え相手がどんな感情を抱いても
あなたに痛手はないしね。
最高に幸せになって
その憎ったらしい奴を羨ませたらいい。
目にモノ見せてやれ!
「やりたいことがない」と言う人は
「やりたくないこと」を挙げてみたらいい。
例えば勉強したくないなら、
それは「勉強せずに過ごしたい」であって
やりたいこととおなじ。
「やりたくないこと」を
受け入れて大丈夫。
立派なwantだ。
堂々としてたらいい。
世間が認めてくれそうなwantだけが
wantじゃない。
今はそう感じているんだもん。
それがあなたの「やりたいこと」でいい。
求めてるのはきっかけだよね。
ちょっとしたきっかけ、
決して忘れることのないきっかけ。
きっかけさえあれば!
って思ってるんだよね。
そうなら、
今日はきっかけを見つけてよう!
探しに行こう!
もし見つからなかったら
それをきっかけにしよう。
努力はストレスに直結していそうだが
そうじゃない。
結果を出すためには多少なりとも
我慢や努力が必要で、
結果を出すための我慢や努力さえも全てストレスとなると
何も進まなくなる。
そして、
この進まないこと自体が
新たなストレスとなる。
我慢や努力は「境界線」は大切で、
「楽しめる」範囲を心がける。
「楽しめる」と「結果が出る」が重なるところを狙う。
つまり、
「これならヤレる!」のラインを探す。