
土台
同じ行動に見えても、
その行動の土台が違うと、
プロセスも結果もちがっていく。
例えば
土台が喜びであれば選択になるが、
土台が恐れであれば反応になる。
反応は自ら選んでいるようで選べていない。
だから、
同じパターンを繰り返してしまう。
うまくいかなくなると調整ができない。
そういった時は
その行動の土台には何があるかを見る必要がある。

同じ行動に見えても、
その行動の土台が違うと、
プロセスも結果もちがっていく。
例えば
土台が喜びであれば選択になるが、
土台が恐れであれば反応になる。
反応は自ら選んでいるようで選べていない。
だから、
同じパターンを繰り返してしまう。
うまくいかなくなると調整ができない。
そういった時は
その行動の土台には何があるかを見る必要がある。

「現実は自分の自己概念が作り出している」
と考えると大きなヒントを得ることができる。
それは単純な『自己責任』といった考え方とは違う。
今までの生き方は
環境適応的に工夫して作り上げたやり方に他ならないだけで、
どんな不器用に見える生き方だとしても実は
努力の賜物でもある。
ただ、長い人生だから
今では不要のもの、
それどころか、悪影響を及ぼすものが含まれていたりする。
子どもの頃は有効だったものでもね。
だから人生には価値観の見直しのタイミングで
様々なトラブルがおとづれる。
やっぱり、起こることは全てギフトで
応援されてるんだよ。

視点が変わるだけで
全く違って見えるものがある。
例えば、
「過去」のgoodを見るか、badを見るか。
「今日」を気分で見るか、成したいことで見るか。
「未来」を不安で見るか、希望で見るか。
例えば、
「わたし」の無いをみるのか、有るを見るのか。
その視点の違いが与える影響は
想像以上に大きい。

耐えれない事実には
どうにか痛みを和らげる工夫をし、
人は生きていこうとする。
工夫によっていつの間にか
気になっていた自分を忘れ、
事実を見ない自分に慣れてしまう。
しかし皮肉にも、
その必死の工夫が未処理の感情を生み、
不具合を引き起こす。
とても気にしていた自分や
敏感に意識していた自分を思い出すことによって
どんどん自分を取り戻し、
人は強くなっていく。
大丈夫だよ。
あなたはあの頃のあなたとは違う。

パズルのピースが揃って一枚の絵になるように
小さな情報が集まって
実態がはっきりする時がある。
あぁ!そういうことか!!
と突如、手を叩きたくなるような瞬間。
その時、
自分が馬鹿みたいに思えたり、
誰かの深い愛情がわかったり、
逆に意地悪なところが見えてしまったり。
結局、わかるんだよね。
本当の想いが。
自分の思いもそう。
周りの人にはわかってるものなんだよね。

ミルクボーイの、
賭け事好きだったグリーンのスーツの方が
あるテレビ番組で
「賭け事、真剣にやったら辞めれるで」
と真剣な表情でおっしゃっていた。
真剣にやったんよね。
賭け事辞めて、人生を掛けたんよね。
もちろんどれだけ全力を掛けても結果がついてくるとは限らないし、
頑張ったからって叶うとは限らないのに、
掛けてみるっていうのが覚悟を問われてんだよね。
やってみなきゃわからないこと。
確率は高くないけど0なわけじゃないこと。
そういうの、あるんよねぇ。

あなたは何をするだろう?
もっと健康的な生活をする。
勉強して、たくさん本を読む。
愛する人と結婚する。
子どもとの時間をもっと大切にする。
もっと生きたいように生きる。
全部、今からやるんだ。
始めるのに遅いものなど一つもない。

腰が重いと感じる時は
効果効率を考えすぎていることが多い。
だから取り急ぎ、やれるものから手をつける。
こんなの後回しでも良いんだけど…と思うものでも
やれるものをやってみる。
もっと効果的な方法があるんじゃ?と疑う気持ちは脇に置き、
今やれることに手を付ける。
すると、気分が乗ってきて結果的に終われた!
といった確率は高くなる。
何事も
なぜか手をつけるまでが大変で
手をつけてさえしまえば徐々にでも進み出す。
手をつけるだけ!それだけ!それでいい!と
呪文のように自分に言いながら
やらなければならなことに近寄っていく。

不快=自分
頑張っても報われない=自分
イライラさせる=自分
意識では考えられないだろうが
そうやって自己存在を確認する人がいる。
私は努力していますで満足するタイプもいる。
努力で満足だから、達成することがない。
孤独を回避したいと意識しながら、
孤独を確認することで自己確認する人もいる。
自分が求めてやっているとしたら
あなたは何で自己確認しているんだろう。

だいたいそうなんよね。
『捨てる神あれば拾う神あり』なんよ。
経験上、確信に近い。
そして結果、
そっちの方が良かったりするから
捨ててくれて助かった〜!と思うもんなんよ。