
大人な自分
子どもの頃は環境を選ぶことは
難しいところが多い。
どうにか適応せざる得ない。
よくやってきたと思うわないか。
スムースじゃないにしろどうにか
乗り越えてきた。
ただ、もう子どもの頃とは違う。
大人になった私たちは選べる範囲が増えている。
環境も付き合う人も選ぶことができる。
選べる自分に気づこう。受け入れよう。
自分の幅を広げていこう。

子どもの頃は環境を選ぶことは
難しいところが多い。
どうにか適応せざる得ない。
よくやってきたと思うわないか。
スムースじゃないにしろどうにか
乗り越えてきた。
ただ、もう子どもの頃とは違う。
大人になった私たちは選べる範囲が増えている。
環境も付き合う人も選ぶことができる。
選べる自分に気づこう。受け入れよう。
自分の幅を広げていこう。

今日のことは今日しかできないように
あの日のことはあの日しかできない。
あの日の自分ができる最大をやったということ。
もっと上手くできたかもしれない…と
考えることは
未来に有効かもしれないが
そのために今を台無しにするのはやめよう。
そうしかできなかった自分を受け入れよう。
仕方ない。
私たちは聖人にはなりえない。
私は不完全な人なんだ。

時間をあけることは有効だ。
集中して取り組めば解決するわけではない。
適度な空の時間が思考の角度を変えて
解決の糸口になることはよくある。
それは人間関係も同様に感じる。
時間や距離を取ることによって
密接している取り組んでいる時より
より良い効果を発揮する。

問題が起こっていても
気づかない間は問題ではない。
大した問題でなくても
その人が問題と扱えば問題となる。
問題ってなんだ?
問題だと捉えている枠を
今一度、確認する必要がある。

人の思考は面白い。
それぞれがそれぞれの過去の経験のもとに
それぞれの思考を持っていて、
私が持ち得ない発想があり視点がある。
話をすると刺激を与え合い、
私の中にもまた別の思考が生まれる。
そういうの、好き。

結果が同じでも
そこまでのプロセスの違いは
これからに大きく影響する。
どんな目的のために
何を大切にしてきたのか。
今一度、考えたほうがいい。

「見えないものを見る力」は人生を分ける。
「暗黙のルール」や「しくみ」といった、
言葉では表しにくく、
目には見えないが
肝要なことが何事にもあるものだ。
「見えないものを見る力」は
大概それぞれの専門分野で磨かれ、
専門以外のものも見えるようになっていく。
『一芸に秀でるものは多芸に通ず』とは
こういうことなんだろうな。

パソコンの電源を入れてみる。
ノートをひらいてみる。
靴を履いてみる。
デスクに座ってみる。
着替えてみる。
何でもいい。
ほんのちょっと踏み出せば
変わり始める。
始めれば始まる。

いつの間にかそうなっていたというのが最も良い。
線を引くように
人の感情は切り変わらない。
区切りをつけたとしても
後ろ髪を引かれるし、
以前の懐かしさが付きまとう。
それは自然なこと。

同じことをやっても、
違う視点をもってやるだけで
心持ちは変わる。
心持ちが変わると疲労感も充実感も異なってくる。
アンテナを張って
気づく力を最大に伸ばすんだ。
ヒントはいつも近くにある。