「どう捉えたいか」といった意思が現実に与える影響 vol.5566
「どう捉えたいか」という意思が
現実を決めてるんだな。
受け入れたくないものは現実に起こってないこととイコールで、
受け入れようとした瞬間から現実になる。
しつこく何度も起これば
仕方なく受け入れる可能性は高くなる。
けど、受け入れたくない時に見聞きしても無いのと一緒。
それがどんなに大切なことでもね。
「どう捉えたいか」という意思が
現実を決めてるんだな。
受け入れたくないものは現実に起こってないこととイコールで、
受け入れようとした瞬間から現実になる。
しつこく何度も起これば
仕方なく受け入れる可能性は高くなる。
けど、受け入れたくない時に見聞きしても無いのと一緒。
それがどんなに大切なことでもね。
本を読んでいると仕事のことが気になり、
仕事をしていると家のことが気になり、
家のことをしていると本を読まなきゃと思い…
何かをやっていても違うことが気になり始め、
ひとつのことに集中できない。
そういった時は「限り」を意識する。
この電車を降りるまでここまで終わる!とか、
今日、この章だけは終わらせる!とか、
アラームをかけて15分だけコレに集中するといった具合に
「限り」を意識的に持つと、
そこが枠組みとなり捉えやすくなる。
「次からもっとうまくやる!」
これで十分なんだ。
最初からうまくいくことなんて
なかなかない。
だから、経験から学んで
前回よりも少しでも前へ進む。
そうなればベスト。
あの経験があったから今がある。
そう思える未来を作っていけばいいんだよ。
理解されていない思いは理解されたい思いを増大させ、
理解されたい思いの高まりは
理解されていない思いをより一層深める。
どんどん理解されたかどうかに固着していく。
その場にいる本来の目的からどんどん遠ざかっていくから
もっと理解されなくなっていき、
さらに理解されることに固執する。
完全な悪循環。
自分に以下を問いてみよう。
・なぜそんなにも理解されたいのか
・どうなれば理解されたと思えるのか、それは可能なのか。
・そもそも理解されなかったからってどうなるのか
・この場にいるそもそもの目的は?
壊れる、失くすは流れが変わるサイン。
区切りになっていることが多い。
転ぶ、乗り遅れるは時間調整で
忘れものやミスは厄落とし。
何事も両面がある。
片面だけで判断していると間違っちゃう。
「好き」だからって三昧するとイヤになるし、
「好き」を遠ざけすぎても意欲がなくなる。
自分の「好き」を理解し、
丁寧に取り扱っていこう。
「好き」に出会えるって
ありがたいことだから。
好きや嫌いといった感情を
判断に持ち込むべきではないと
ビジネスの時によく言われるが
本当にそうなのかな。
好き嫌いといった感情は
思っている以上に強く影響する。
同じものなら嫌いな人からは買いたくないし、
好きな人からなら必要じゃないものまで
買ってしまいそうだ。
能力が同じ程度なら
好きな人を昇進させたいし、
好きな上司のもとで働きたいだろう。
感情って活動の根っこなんじゃないのかな。
恥をどの部分に感じるかは人によって違う。
怒りをどこに感じるかも人によって違う。
何に悲しみ、何を屈辱に感じ、
何を喜び、何に満足するかも人によって違ってくる。
その違いこそが
その人を現しているんだよね。
あなたは何をどのように感じているんだろう。
そしてなぜ、そう感じるんだろう。
最初の一歩は怖い。
だから、一歩踏み出したら
次の一歩もとっとと出そう!
最初の一歩が遠くに感じるほど、
一気に進んでしまおう。
あの一歩には意味があったと思えるくらいまで
どんどん前に行こう!
最初の一歩の意味を決めるのはあなただから。
100キロマラソンを完走した時、
「完走したい」とか「走れるかな?」とか
私は一切、考えてなかった。
なぜ、そう思えたのかはわからないが
やれると感じていた。
できるかどうかなんて疑わなかった。
信じていたからやれたんだと思う。