たのしいね?
それをやってて本当に楽しい?
気がかりを先延ばしにしたままの楽しさって
なーんかちがうんだよね。
無視してても事実、
笑顔の中にふと真顔に戻る瞬間があるもんね。
気がかりや気が重いことに
向かっている時の方が意外と楽しいんだよね。
だから、
まずは気がかりなことを書き出してみよう。
手をつけなくていい。
「これが気がかりなんだ~」と自分の気がかりを
書き出して眺めるだけで一歩進める。
それをやってて本当に楽しい?
気がかりを先延ばしにしたままの楽しさって
なーんかちがうんだよね。
無視してても事実、
笑顔の中にふと真顔に戻る瞬間があるもんね。
気がかりや気が重いことに
向かっている時の方が意外と楽しいんだよね。
だから、
まずは気がかりなことを書き出してみよう。
手をつけなくていい。
「これが気がかりなんだ~」と自分の気がかりを
書き出して眺めるだけで一歩進める。
復讐したいやつがいる。
見返したい奴がいる。
それもいいねぇ!
怒りはパワフルな感情で自然なものだけど、
復習の作戦は選びたいね。
「あなたのせいで私の人生はこんなふうになった!」と
罪悪感を相手に持たせるやり方はあまりいい手とは思えない。
なぜなら、
もし相手が不幸な状態のあなたに罪悪感を持たなければ
復讐にならないし、
あなたの人生の浪費になってしまう恐れがあるから。
一方、
「私は非常に幸せです!
あなたがどんな汚いことを私にやっても
私の人生には全く影響ありませんでした。」
といった作戦は悪くないと思うんだけど、どう?
例え相手がどんな感情を抱いても
あなたに痛手はないしね。
最高に幸せになって
その憎ったらしい奴を羨ませたらいい。
目にモノ見せてやれ!
スムースに運ばないことがデフォルト。
自分だけで完了しない誰かが絡むことは特に。
なのに、ちょっとスムースに進んでいると
それを当然と受け取ってしまう。
スムースの有り難さに気付けなくなる。
スムースに運ばないことがデフォルトで、
スムースにコトが運んでいるのは有難いこと。
有り難さを思い出させるように
スムースじゃないことが定期的に必要なんだろうな。
「やりたいことがない」と言う人は
「やりたくないこと」を挙げてみたらいい。
例えば勉強したくないなら、
それは「勉強せずに過ごしたい」であって
やりたいこととおなじ。
「やりたくないこと」を
受け入れて大丈夫。
立派なwantだ。
堂々としてたらいい。
世間が認めてくれそうなwantだけが
wantじゃない。
今はそう感じているんだもん。
それがあなたの「やりたいこと」でいい。
求めてるのはきっかけだよね。
ちょっとしたきっかけ、
決して忘れることのないきっかけ。
きっかけさえあれば!
って思ってるんだよね。
そうなら、
今日はきっかけを見つけてよう!
探しに行こう!
もし見つからなかったら
それをきっかけにしよう。
やり方はいろいろあるから
効率的に見たらあっちが正解だし、
生産性で見たらこっちが正解だし、
コスパっで見たらそっちが正解に思えるものだ。
あっちこっち中途半端に
決めかねているのが実は
最も効率が悪い。
どの方法を選んでも
メリットとデメリットは両方ある。
メリットだらけは無いのだから、
デメリットを覚悟して自ら選択するのが最も強い。
そして必ず結果はついてくる。
努力はストレスに直結していそうだが
そうじゃない。
結果を出すためには多少なりとも
我慢や努力が必要で、
結果を出すための我慢や努力さえも全てストレスとなると
何も進まなくなる。
そして、
この進まないこと自体が
新たなストレスとなる。
我慢や努力は「境界線」は大切で、
「楽しめる」範囲を心がける。
「楽しめる」と「結果が出る」が重なるところを狙う。
つまり、
「これならヤレる!」のラインを探す。
なぜだかいつも戦闘モードになってしまう…なら
誰も頼れない。
負けたらダメだって。
自分でやっていかなきゃって。
そうやって生きるって
どこかで決めたんだよね、むかし。
そう解釈する出来事がきっとあったんだよね。
よくやってきた!
その考えが今のあなたの成功をつくってきたんだ。
自分の生き方に気づいたなら
これからも同じやり方を続けてもいいし、
変えてもいいんだよ。
「見立て」が的を得ている時には
トラブルはどんどん解消する。
「心構え」が的を得ている時には
トラブルは未然に解消する。
トラブルが解消されないということは
何かがズレてるのだから、
そこさえ修正すればスルスル進み出す。
制限を感じてはいるが
それが何なのかはっきりしないときは
自分への問いを立ててみる。
例えば、
このまま今年が終わったら後悔することは?
何がどうなればいい?
何がどうなることを恐れている?
すると?