
今、起こってるのことではないのにね
ふと頭をよぎる人や言葉、風景がある。
懐かしいシーンだったり、
ビクッとするような言葉だったり
思い出すたびにこちらも嬉しくなるような笑顔だったり、
冷たい視線だったり。
一瞬で消えてしまうのだけど
そこに私たちは反応する。
懐かしいシーンであれば気持ちが優しくなり、
ビクッとするような言葉であれば緊張が走り、
嬉しくなるような笑顔であれば思わず頬が緩み、
冷たい視線なら身が固くなる。
今、起こってるのことではないのにね。

ふと頭をよぎる人や言葉、風景がある。
懐かしいシーンだったり、
ビクッとするような言葉だったり
思い出すたびにこちらも嬉しくなるような笑顔だったり、
冷たい視線だったり。
一瞬で消えてしまうのだけど
そこに私たちは反応する。
懐かしいシーンであれば気持ちが優しくなり、
ビクッとするような言葉であれば緊張が走り、
嬉しくなるような笑顔であれば思わず頬が緩み、
冷たい視線なら身が固くなる。
今、起こってるのことではないのにね。

自信がない人ほど受け取らない。
実績を残しても褒めても受け取らないから
その人には残らない。
自信がない人だけじゃない。
「こうあるべき」と考えているものに反することは
人は受け取らない。
ロジャーズも書いている。
「当然、こうあるべきだ」と考えているものに導かれており、
ただ他人から当然こうするだろうと思われているように考えたり、
感じたり、行動しようとしているに過ぎない。

人生は自ら作っていく側面と
与えられた課題をクリアしていく側面がある。
投げかけられた課題に対して
応え方を自ら選択し、
自らの選択したその先にまた与えられる課題があり、
その課題に応えていくといったことが繰り返される。
ふと振り返ると
流れができていて
あなたの大海への道となっている。

元旦に始まり、
節分、立春、春分の日に新年度と
リスタートの機会が目白押しの3ヶ月。
区切りをうまく活かして
過去は切り捨て
今に乗っていこう!

ちゃんと落ち込めるのは力なんだよなぁ。
落ち込むことを回避すると成長にはつながらない。
落ち込むことには力が必要なんだ。
現実を観て、受け入れる力。
今までを悔やむ力。
また、自分の力を信じる力がなければ
落ち込むことはできない。
落ち込むことができれば
伸びることができる。

例えばスポーツの試合では
いちいち考えている暇はない。
運転することもそうだ。
初心者のうちは
ひとつひとつ確認しながらだが、
だんだんと意識せずともやれるようになる。
つまり、身体が覚えていく。
考え方や会話も同様で、
今までのやり方を身体が覚えているから
咄嗟にでるのは従来のやり方になってしまう。
だから、新しいやり方を
身体に覚えさせなければならない。
身体が覚えてしまうまでは練習が必要なんだ。

人生が長くなったから、
やり直しが効くことも増えた。
今からでも間に合う。
例え、間に合わないことでも
取り組んでみると思わぬところから
救われたりする。

人生の達人は適切だ。
やれる時にやれることをやる。
結果が出れば真摯に受け止め、
そのまま進むか、諦めて別のルートに進むかを決める。
やる前から結果を勝手に予測して右往左往したりしないし、
諦めるかどうかにエネルギーを注ぎすぎたりしない。
つまり、
変えれるものと変えれないものを判断し、
変えれないものは受け入れ、
変えれないもの以外は変えていく。
ニーバの祈りそのものだな。

「この後悔を未来に役立てるぞ」と
当初の後悔は学びに思えても、
同じような悔いが度々重なれば嫌気も差してくさ。
「いつまでやってんだよ。
学ばないな、お前。」みたいな自分責めが始まる。
そんな自分責めで終わっては
また同じような後悔を繰り返してしまうだけだ。
こういった状態の時は
後悔が具体的になってなかったり、
積極的な行動予定に繋がってなかったり
頭だけで考えていることが主な原因だ。
つまり、
何をどう後悔しているのか具体的に書いて考え、
そして何をどうすれば後悔しないのか
具体的な行動を書き出すこと。
上記が終わったら
後悔も終わりにすること。

中国出身で流暢な日本語を話すマッサージ師さんが
マッサージ中に話してくれたのは
「まさか日本に留学するとは思わなかった。」に始まり、
「まさか留学中に離婚されると思わなかった。」
「まさか日本に住み続けるとは思わなかった。」と続き、
最後は「運命ですよ」と締めくくった。
確かに人生では
「なぜ?こんなことが私に?」
といったことが起こる。
私たちはそんな運命に応えていかなければならない。
フランクルだったよねぇ、
「人生には意味がある」と言ったのは。