
こんな自分でも結果を出すには? vol.5004
結果を出すために変わることは大切だ。
しかし、
今のままでも結果を出すにはどうしたらいいかを
考えることも大切だ。
例えば、
こんな自分だからダメなんだ!
と責めるばかりではなく、
こんな自分でも結果を出すには?
と考えてみるといった具合に。

結果を出すために変わることは大切だ。
しかし、
今のままでも結果を出すにはどうしたらいいかを
考えることも大切だ。
例えば、
こんな自分だからダメなんだ!
と責めるばかりではなく、
こんな自分でも結果を出すには?
と考えてみるといった具合に。

自分の思考をいちいち解説するのは苦手だ。
それって、
「笑いのツボはここなんだよ」って
説明するようなものでとても野暮に感じる。
だから、
説明が必要な相手から離れたくなる。
「わからない人」といったレッテルを貼り、
わかる人とだけ付き合いたくなる。
ただね、
いちいち説明するといった「対話」を避けないようにすると
すぐには難しいけど
分かり合える部分が必ず出てくるんだよね。
わかってしまうから困るという話もあるけど、
やるほどに「対話」する力もつくし、
応援し合える仲間も増える。
そういった大切さがわかれば
対話に対して
もっと前向きになれるのかもしれないね。

自転車が初心者のころは特に
そっちはダメだと注意を向けた方向に
向かっていってしまう。
私たちは日常でも
自分に強く禁止しようとすることほど
その行為にはまっていくようなことを
やってしまっている。
あなたの注意を
禁止事項に向けるのか、
それともベストに向けるのか。
何に注意を払うのかで
あなたの人生は変わってしまう。

覚悟が決まるまでは
あっちの人はこれが正しいと言っていて、
こっちの人はこう言っていると
周りのことに右往左往してしまう。
一方、覚悟が決まってしまえば、
周りの雑音は聞こえなくなり自分を中心として回り始める。
「私は私」と自分ができる範囲や限界を
受け入れることができている。
このことがシンプルに「事実に直面化する」ということなんだね。

特別やりたいことや
重要なことに取り組む時、
自分の限界に直面化する。
時間が足りない、
完璧にはできない、
想像した以上に難しい…etc
そういった恐ろしい現実から
必死に、もしくは無自覚に回避しようとする。
その回避行動のひとつが気を逸らすこと。
時間がないのに
さほど興味のない動画サイトを見て何時間も過ごしてしまうこと。
大した力がないことを自覚しながら
恐ろしさに直面化するしかない。
そうすれば必ず違う世界が開けてくる。

気にしている自分に気づけないことがある。
「常に考えている状態」が
「自分がとても気にしていること」と
イコールにならない。
だから「気にしている」に気づくまでは
対策や対処ばかりを考えている。
気づいてしまえば
気にする必要があるかどうかを
考えることができるのだけど。

大してマズくなかったのに
マズいマズいと焦るほど
本当にマズくなって行く。
焦れば焦るほどドツボにハマっていく。
もうだめだ…と感じても
案外だめじゃなかったりする。
さぁ!深呼吸して。
リカバーできるはずと開き直ってみて。

喜びや嬉しさ、やすらぎや誇り、
悔しい思いや恥など、
私たちにはさまざまな感情がある。
どの感情も自然なもので、
感情に良いも悪いもない。
問題は、その感情を感じることへの
あなたのジャッジだ。
人を嫌だと思ってはいけない、
怒りを感じてはマズいなど、
自分の感情をジャッジし、
感じないようにしていることが問題なのだ。
その先には避けたいほど恐れている何かがある。
それが一体何なのか。
そこに本当の課題がある。

さらに悪いことが起こると
悪いと思っていたことは
意外と良かったんだとやっとわかる。
自分の努力より
うーんと努力している人の笑顔を観て
自分は何をやってたんだと恥ずかしくなる。
こんなの無理だよぉ…と思っていたのに
その程度じゃアマチュアすぎる現実に直面して初めて
覚悟が足りなかったと知る。
比較して初めて実態がわかるなら、
何と比較するかで
実態も変わってしまうね。

最適なタイミングってやつがある。
どれだけやってもダメだったのに
タイミングが合って
とんとん拍子に進んだ♪といった具合だ。
もちろん最初からバッチリ
タイミングが合うこともあるけど、
「どれだけやってもダメだった」経験によって
タイミングを測る力がつくこともある。
ただ、どうであれ
そのタイミングが最適かどうかは
やってみないとわからないんだよねぇ。