
罪悪感 vol.5038
仕事をしていれば家庭が気になり、
家庭のことをやっていると
機会損失しているように感じたり。
何をやっていても
「自分がもっとやれれば…」と
小さな罪悪感を感じている人は少なくない。
小さな罪悪感は常にチクチクしていて
思っている以上にエネルギーを奪っていく。
できないものはできないって
開き直っていいんだよ。

仕事をしていれば家庭が気になり、
家庭のことをやっていると
機会損失しているように感じたり。
何をやっていても
「自分がもっとやれれば…」と
小さな罪悪感を感じている人は少なくない。
小さな罪悪感は常にチクチクしていて
思っている以上にエネルギーを奪っていく。
できないものはできないって
開き直っていいんだよ。

認められたい思いは誰にでもある。
誰にでもある欲求だから厄介だ。
中でも
その人が認められたい自分を許していない状態だと
特に厄介になる。
自分が嫌っている自分の一部を相手に見る時、
人はその人のことを敬遠する。
だから、
認められることを目的とした行為は
裏切られることが多い。
認められなかった時に諦めがつく程度に
認められる目的のための行為をやめてみる。
誰が認めようと認めなかろうと
私は私がやりたいこと、やるべきだと思ったことをやる。
と決めてみて!楽だよぉ〜。

悩むべきときに悩んでいるのは
波に乗っている証だ。
悩むべき時に悩んでなければ
伸びる時に伸びれない。
悩むべき時にしっかり悩んでいるからこそ、
伸びる時にぐーーんと伸びることができるのだ。
大丈夫!
その時々に必要なことがちゃんと起こっている。

執着がなくなると楽になる。
執着していた時間は自分を責めていた時間。
責めることが成長とつながると思い込んでいた時間。
でも本当は、執着を手放すと
本当にやりたいことに集中できる。
楽にコトが進む。
プロセスが楽しくなる。
手放すことを恐ろしく感じるけど
手放してしまえば、
なぜ、あんなにもこだわっていたのだろう?
と以前を不思議に感じる。

自分の心地よさを大切にするって
思う以上に難しかったりする。
しかし、
私たちは自分の心地よさを優先しなくて
普段、何を大切にしているのだろう。
アリとキリギリスの話は
私たちに「できるときに備えること」の大切さを教えてくれている。
けど、
冬が来ない世界にいたら?
冬でも備えなればと思って働き続けていたら?
キリギリスの要素も必要なんじゃ?


目を閉じると筋肉や脳がリラックスして、
1時間に1分程度目を瞑るだけでも
疲れ目には効果的らしい。
「1分なら」と意欲が湧く自分に驚く。
5分と言われると、いや3分と言われても
長く感じているからだ。
1時間に5分程度で効果的と言われても
(目を瞑るだけなのに)やれる気がしないが
1分程度ならやってみようと思える。
今の時代のスピード感から
現代人はじっとしてられなくなっているといった話を
見聞きしたことがあるが
このことなんかはその例の一つかもしれない。
そもそも時間をかけることに苦手意識があったが
時間をかけて行うことに
積極的に取り組んでみることは大事かもしれないね。
敢えてじっくり行うことにチャレンジしていると考えれば
乗り越えれるかもしれない。

感謝とは恵まれていることにいかに気付けるかだ。
最悪だと思っていたのに
もっと最悪なことが出てきて
「以前のは全く最悪ではなかった、
いやむしろ、よかった方かもしれない」
と気づく経験をしたことがあるだろう。
つまり、
感謝できる力は気づく力に比例する。
十分恵まれているといった視点から
今を見ると有難いことだらけなのかもしれないよ。

そう捉えてみるとどうだろう。
人を羨む気持ちも
心配や焦りも意地悪な気持ちも
全て自然なもの。
あって当然な感情と思ってみると
自然とそういった感情が
流れていくことがわかるだろう。
感じ方も私たちは学習して身につけてきている。
学習して身につけたものは
学習して変えることができるのだから
感じ方も幅を持たせてみよう。

自分の本当の気持ちを理解していないことは
思っている以上に多い。
自分が何を望み、何を恐れ、
どこに向かいたいのか、
はっきり出来たらそれだけで進むのにね。
進まなかったとしても
落ち着いてそこに居ることができる。