人生を大切に取り扱う vol.5601
自分を本当に大切に扱うとは、
どういうことなのだろうね。
時には頑固に、時には柔軟に。
時には太陽のように、時には月のように。
あなたはあなたを大切にしていますか?
自分を本当に大切に扱うとは、
どういうことなのだろうね。
時には頑固に、時には柔軟に。
時には太陽のように、時には月のように。
あなたはあなたを大切にしていますか?
問題はひょんなことから解決したりする。
考え、調べ、意識的にどんな手を打っても
ベストな方向になかなか向かなかったのに
なぜか急に良い方向に向かいはじめたりする。
どうやって解決に至ったか明確に理解できないまま。
実際にそういった解決の仕方は少なくない。
私たちの理解する範囲を世界の全てだと考えるのは
やはり危険なんだよなぁ。
何につけ両面ある。
良いこともあればアカンこともあるし、
やってあげたこともあるが、
やってもらったこともあるはずだ。
もし悪い方に偏って感じているなら
共生的課題があるはずだから
人との距離感を見直す必要がある。
何を課題とするかで
その先の未来は随分と変わってしまう。
問題の原因をどこに求めるかの傾向、
トーカスオブコントロールを提唱したのは
ロッターだったかな。
原因を自分の内に求めるのか、外に求めるのか、
何が変わるもので、何を変えれないものとするか
などをどう考えるかで課題が変われば、
やることも随分と変わってしまうから。
諦めは肝心だ。
出来ないものはしょうがない。
わからないものは仕方ない。
全てが可能なわけじゃない。
やれることをやったら後は手放すしかない。
何か起こればその時はその時で。
なぜ、あの人はあんなにも努力できるんだろう?
なぜ、あの人はすぐに行動できるんだ?
なぜ、あの人はあんなにも成功しているんだろう?
などが刺激になって自分が奮起できるならいい。
しかし、比較することで
自分のダメさを深める人がいる。
けど、そんなダメを感じている自分に
実は同じようなことを感じている誰かも居て、
結局は誰もダメじゃなくて。
人と比べないと自分が確認できないこと自体が
それでいいのか?って感じがしてこない?
ちょっとでいいんだよね。
なーんかほんのちょこっと「やれるかも!」
って感じられればやれるんだよ。
まぁやれるかどうかはわからなくても
逃げ出さずにひとまずそこにとどまることができる。
自信のカケラみたいなものが
見つけれたら必ずやれるから
カケラを探そう。
誰かが言っていたなぁ。
その人の本質を見たいなら、
その人を少し疲れさせるといいって。
確かに少し疲れただけで
不機嫌になる人もいれば
自分のことばかりになる人もいるから
疲れるときっと隠せなくなるんだよね。
少し負荷が加わると
別の面が見える。
人はごっちゃに考えがちだ。
例えば、
必要なことと欲しいことと
しなくちゃいけないことがぐちゃぐちゃになっていたり、
仕事の自分と家庭の自分、
娘や息子としての自分といった立場が
ごっちゃのままだったり。
ごっちゃのまま考えると
何が何だか訳がわからなくなって
考えることを放棄したくなる。
そうなっていたら少しだけ
分けて考えてみよう。
分けて考えるだけで驚くほど思考の整理がつくから。
人の話をよく聞ける人には
自分の話をよく聞いてくれる人がいる。
助ける人は助けられている必要がある。
与えることができない時は、
十分に与えられていない可能性が高い。
まず自分を救い、自分を満たすこと。
それが健全な「周りを満たす」ことにつながっていく。