
淡々と vol.5090
やるべきことを淡々とやっていく。
一喜一憂せず淡々と淡々と。
気づけば2022年もあとちょっと。
といっても淡々と。
クリスマスが終わると一気に年末に向かう。
それでも淡々と。
年が明けても
やるべきことを淡々と淡々と。

やるべきことを淡々とやっていく。
一喜一憂せず淡々と淡々と。
気づけば2022年もあとちょっと。
といっても淡々と。
クリスマスが終わると一気に年末に向かう。
それでも淡々と。
年が明けても
やるべきことを淡々と淡々と。

状態や事実が結果を決めるのではなく、
状態や事実をどう解釈するかで結果が決まるのだ。
どう解釈するかには
その人のパターンがあり、
そのパターンを変えなければ解釈は変わらない。
解釈が変わらないということは、
その人にとっての結果も
変わらないということになる。
解釈が変われば結果は変わる。
結果を変えたければ
まずは自分の解釈を疑ってみよう。

他者と接することで自分が見える。
自分に種のないものは見えないから、
相手の何かがよく見える、気になるというのは
あなたにその種があるはず。
自分だけでは気付けないものを
他者は見せてくれる。

自分を変えていきたいと思ったら、
最初の一歩はなんだと思う?
計画を立てること?
2度とやらないと強く反省すること?
失敗の原因を探すこと?
労いなんだよね。
それをやる必要があったからやってきたわけで
結果がどうであれ
頑張ってきたんだよ。
だから、まずはそんな頑張ってきた自分を労う。
変化は愛からなんだよね。

もしあなたがサイズ違いの靴を履いて歩いていたら
歩くたびに痛いし、
きっと歩けなくなってしまうよね。
靴が足に合ってないなんて考えもしなかったら
歩いている周りの人のスピードを見て
自分がダメなように感じてしまう。
みんなもこんな痛い思いをしているのに
その痛みを乗り越えて歩いていると考えたら
自分がとても弱く感じるだろう。
自分がダメだと思い込んでいたら
靴が合ってないなんて考えもしないもんね。
あなたが痛みを感じているのなら
それはあなたがだめなんじゃなく、
靴が合ってない可能性がある。
自分に合う靴を履いたら
こんなに痛くないの?と驚いてしまうかもしれない。
歩くたびに辛かったのに、
歩くことそのものが楽しく感じるだろう。
だってやっと自分のままで歩けるのだから。
人は輝くように作られている。
本来の力を発揮し損ねてもがいているのはまるで
サイズ違いの靴を履いて歩いていようなものだよね。

夢だったと気づくのは
夢から覚めた後。
夢の中にいるときは
それが夢だとは気づかない。
思い込みも同様で
思い込みに気づくのは思い込んでいる以外の
有効な思考に出会った時。
この今でさえ
夢なのかもしれないよ。

この人が好き、この人は苦手…
といったことは誰にでもある。
しかし、
人の好き嫌いと意地悪は連動しないものだ。
好き嫌いが激しいからと言って
嫌いな人に意地悪するとは限らないし、
好き嫌いがそうないと言っても
人に意地悪しないとも限らない。
好き嫌いはあっていい。
それが意地悪な行動と連動すると変になる。

この2時間でコレを終わらせる。
今日はここまでやる。
今週は最低、これを完了する。
といった具合に
短期的に区切った方がやり切れる。
やることが明確になるし、
達成感も味わえるし、
一つに絞った方が返って
たくさんのことがやれるものだ。
私たちが使える時間は限られている。
大切なものに使いたいね。

もうだめだ…と感じていても
意外とまだ間に合うことが多い。
この程度じゃダメだと思っても
その程度伸びているもので
諦めずにやって良かったと振り返ることは多い。
結果がはっきり出るまではわからない。
先に諦めてしまうのが最ももったいない。
意外とまだ間に合うんだよ。

母が亡くなる前によく言っていた。
「庭に水を撒いている時に、
なんとも言えない幸せ〜な気持ちになる」と。
幸せは何気ない瞬間にある。
ふと見上げたら吸い込まれそうな青空だったり、
以前から読みたかった本がグイグイ読めたり、
ぐっすり眠れた感じがわかったり。
しみじみ幸せを感じる時がある。
幸せとそれに気づく力はつながっているが
幸せに気づく力を高めるのに必要なことは
案外、ストレスなのかもしれない。
白だけでは白とは気づかないが、
黒が入って初めて白がはっきりわかるように
プレッシャーやストレスがかかる状態を経験しているからこそ
何気ない日常に幸せをたくさん感じれるのかもしれないね。