本当のところ vol.5425
本当のところを当人がわかっていないことは少なくない。
周りからはよく見えていたとしても。
そう判断したと思っているだけで
本当は別の判断があったりする。
あなたがあなたを深く学ぶとは
本当のところを自覚することなんだろうね。
本当のところを当人がわかっていないことは少なくない。
周りからはよく見えていたとしても。
そう判断したと思っているだけで
本当は別の判断があったりする。
あなたがあなたを深く学ぶとは
本当のところを自覚することなんだろうね。
だんだんと変わる。
例えば1mから始めたとしても
10m、20mとだんだんと伸びていく。
だから始めるのはほんのちょっとで大丈夫。
でも最初から20mだと続かずにやめてしまう。
最初はほんのちょっとからでも始めてしまうことが大切。
だんだんと変わるから。
1度の学習で、人は学んだ気になってしまう。
考えれば当然のことだけど
一度きりじゃ誰だって忘れる。
重ねることが習得だ。
自分のものにしたいと思うものは
時間を空けずにシンプルに重ねること。
重ね続けること。
やらなければ始まらないし、
やり過ぎれば嫌になるし、
どの程度やるかといった程度を考える必要がある。
努力だって
足りなければ結果には結びつかないし、
やりすぎたら身体を壊して
元も子もなくなるかもしれない。
それになぜか不慣れなものほど
やりすぎちゃったり、
全然足りなかったり程度がわかんないんだよね。
うまくいってないことがあれば
才能ややり方のせいではなく、
程度の問題なのかもよ。
マインドセットを変える実験をしてみる。
例えば、
気が重いことだけどやらなければならないことや
やった方がいいとわかっているけど
気乗りしないことに対して、
「嫌だなぁ、疲れるなぁ、これは本当に意味があるのか?」
などと考えがちだが、
「楽勝さ!どんなことが起こるか楽しみだ〜🎶」
といったように真逆から捉えてみる。
もちろん、演技だよ。
そのつもりでやったらどうなるかの実験。
完全後ろ向きに始めるのとは違ってくる気がするんだよねぇ。
20歳の時、理解できなかった30歳の気持ちは
30歳になると大体理解できる。
思春期の頃、親の気持ちなど分かろうともしなかったが
親になると痛いほど身に染みる。
学生の時、
教える側の気持ちは想像さえしなかったが
一度、教える側になるとよくわかる。
つまり、
私たちは経験しなければ
相手の状況をよくよく理解はできない。
ならせめて
相手の状況を理解できていないのかも
といった疑いを持っておきたい。
なってみないとわからないものだし、
なってみれば、大概同じように感じ、
同じようなことを選択するんだよなぁ。
ミスはしていいんだよ。
ミスしない人などいない。
ミスした後が大切なんだ。
ミスを受け入れれるか?
迷惑かけた人に謝れるか?
リカバーできるのか?
同じミスを繰り返さないためには?
これは「ミス」だけの話じゃない。
「失敗」や「間違い」「部屋の片付け」だって
あなたが避けようとして行き詰まっていること全般に
使えるはず。
共感であろうがアンチであろうが
私たちは人の影響を受ける。
食べ物や嗜好といった日常は
普段、誰と長い時間を過ごしているかで
随分と変わってしまうし、
行動や思考の仕方も
どんな人と関わってきたのか、
誰と関わっているかの影響を受ける。
リアルだけじゃなく本やオンラインでも。
あなたは誰と多くの時間を過ごしている?
あなたはそこを意識して選べてる?
考えることとリアルは違う。
こう書くと当たり前のことなんだけど
私たちは考えた通りになると
どこか疑わないところがある。
例えば面倒と思っていたことが
実際にやってみるととても良かったり、
ベストだろうと思っていたことが
リアルでは全然ダメだったり。
だからリアルではいつも驚く。
やってみないとわからないもんだなぁって。
それは現状からの逃避なのか
それとも新たなチャレンジか。
それは心からやりたいことなのか、
それとも周りの期待に応えたいからなのか。
境界線は曖昧なことが多い。
「だからやらない」という選択もあれば
「だからやってみないとわからない」といった選択もある。