芯からの変化 vol.5481
人が芯から変わる時、
どう見ても本人は辛そうだ。
いや実際に辛い。
だって今までやってきた自分を否定しかねないし、
慣れ親しんだ生き方から離れ、
未知の世界に入っていくことだから。
痛みなくして成熟なしなんだよなぁ。
考え方によっては
適切な痛みを感じれるというのは
ありがたいことだね。
人が芯から変わる時、
どう見ても本人は辛そうだ。
いや実際に辛い。
だって今までやってきた自分を否定しかねないし、
慣れ親しんだ生き方から離れ、
未知の世界に入っていくことだから。
痛みなくして成熟なしなんだよなぁ。
考え方によっては
適切な痛みを感じれるというのは
ありがたいことだね。
自分が思っている「わたし」と
周りの人が感じている「あなた」には違うところがある。
自分が思っている「わたし」と
現実の「わたし」にも違っていることがある。
この開きが大きいと
人生にフィット感が感じられない。
どこか調整が必要だからこそ、
周りの人が「わたし」をどう見ているのか、
現実の「わたし」はどこに立っているのかを
冷静に見る必要がある。
意識的に向かいたい方向と違う選択をしてしまう時、
無意識的に向かいたい意欲や恐れに
意識が負けてしまっていることが多い。
なぜ、意識的な方より
無意識的な方が強いのか。
意識は自覚している分、制御が働いているが
無意識は自覚していないから
意欲だって恐れだって剥き出し、
露骨だからなんだ。
未熟でしかない感じがする。
未熟なわたしをどう成熟させるかと同時に
どう受け入れていくのかが大事だと思う。
ちょっとしたダメが
だんだんと大きなダメに繋がって
ダメな感覚に飲み込まれそうになる時がある。
そんな時はちゃんと自分に問わないといけない。
本当にそんなにダメなのか?
ダメな証拠はなんな?
友人が同じ状況だったらどう思うのか?
中途半端は気持ちがいいことじゃない。
けど、そんなに悪いことなのか?
道半ばであれば誰もが中途半端なところにいるんじゃないのかな。
人生では全てを完了させて進むことなんてできない。
終わってないけど、
終わったことにしてしまうこともアリだ。
節目だと捉えたら
その中途半端から何を学べるんだろう。
ちゃんと来たかった方にあなたは来ているやん。
だから今もちゃんと向かってるんよ。
人生をもっと信頼していいのかもしれない。
信頼するとは何もしないことではなく、
不安や自分へのダメ出し、
きっと無理だろうと考えることに
多くのエネルギーを割きすぎないこと、
やれることを淡々とやること。
問題が問題になるのは
対処方法がわからない時。
対処できることがわかれば
問題ではなく対処すべきことでしかなくなる。
問題なのは出来事そのものではなく、
対処できないと思っている
自分に課題があることが多い。
だから今、問題に見えていることは
あなたの課題を
見せてくれているだけなのかもしれないよ。
こっちがちょうどよければあっちが長すぎ、
あっちをちょうどよくすればこっちが短くなるもので、
そうそうベストなんてものはない。
それは別に運やタイミングの悪さでもなく、
ごく普通の一般的なことなんだ。
だからその中でどう選択していくかに
その人らしさが滲んでいく。
さて今回、あなたはどう選択していこうか。
まずはクオリティはさておいて
四の五の言わずにやる。
始めないことには始まらないのだから始めてみる。
始めない理由の一つに「恥」を書くことを想像してしまう人も多いが、
人生の恥はかき捨て。
皆、自分に夢中で人のことなど構っちゃいない。
逆に人のことばかり言う人がいれば、
その人こそ四の五の言わずに自分の人生に取り組むべきで、
自分の人生にも夢中になれない人の言うことなど気にする必要がない。
半歩踏み出してみること。
ほんのちょっとでも進んでみると
景色はおもっているいじょう