
仕方がないこと vol.5087
生きていれば、
仕方がないと諦めなければならないこともある。
それでいいじゃないか。
仕方がないことは平等に起こっているもので、
仕方がないことに対しての
あなたの姿勢を問われてるんじゃないのかな。
仕方がないこともあるさ。
なぜ?どうして?と悔やんでも悔やみきれないことも、
諦めざるえないこともあるさ。
だからなんだというのだ。
それを気にするかしないかは私が決める。

生きていれば、
仕方がないと諦めなければならないこともある。
それでいいじゃないか。
仕方がないことは平等に起こっているもので、
仕方がないことに対しての
あなたの姿勢を問われてるんじゃないのかな。
仕方がないこともあるさ。
なぜ?どうして?と悔やんでも悔やみきれないことも、
諦めざるえないこともあるさ。
だからなんだというのだ。
それを気にするかしないかは私が決める。

わたしを保つ。
わたしを育て直す。
わたしを発揮する。
わたしを比べない。
わたしを許す。
わたしが決めていい。
さぁ、わたしはわたしをどう生きていきたいのか。

状態や事実が結果を決めるのではなく、
状態や事実をどう解釈するかで結果が決まるのだ。
どう解釈するかには
その人のパターンがあり、
そのパターンを変えなければ解釈は変わらない。
解釈が変わらないということは、
その人にとっての結果も
変わらないということになる。
解釈が変われば結果は変わる。
結果を変えたければ
まずは自分の解釈を疑ってみよう。

怒りというエネルギーは高い。
怒りを露わにする必要はないが、
怒りに鈍感になるのは勿体無い。
あなたが怒りを覚えるところは
普段から気を使っているところ。
あなたが大切にしている価値観の部分。
そのエネルギーを活かすには
あなたは何をしたらいい?

他者と接することで自分が見える。
自分に種のないものは見えないから、
相手の何かがよく見える、気になるというのは
あなたにその種があるはず。
自分だけでは気付けないものを
他者は見せてくれる。

自分を変えていきたいと思ったら、
最初の一歩はなんだと思う?
計画を立てること?
2度とやらないと強く反省すること?
失敗の原因を探すこと?
労いなんだよね。
それをやる必要があったからやってきたわけで
結果がどうであれ
頑張ってきたんだよ。
だから、まずはそんな頑張ってきた自分を労う。
変化は愛からなんだよね。

それは何のためにやるんだろう?
家族のため?
周りの人のため?
親のため?
子どものため?
私のため?
未来のため?
何のために、誰のためにするかが大事。
私や未来のためにやるならOKだね。

仕方がないことだと受け入れた、
その先が大事なんだ。
諦めることは勇気がいることだし、
大切なことだが、
諦めたら終わりじゃない。
例えば
自分が細かいところが
気になるタイプだとしよう。
大胆な人に憧れがあっても
生まれ持った特性はなかなか変えられない。
残念ながら、
細かいタイプだと諦めるしかない。
ただ、これで終わりじゃない。
持って生まれた特性が引き起こしているとしていることを
カバーしていきたい。
先ほどの事例で言えば
「細かなところが気になるから
人との関係がうまくいかない」と考えているのなら、
細かいところが気になるままで人間関係がうまく行く方法を考える。
ひとつの手として考えられるのは、
先持って自分が細かいことを相手に伝え、
度が過ぎていると感じる時は教えてくれ!と頼んだり、
細かいことが気になる自分を気にしないで欲しいと
言っておくことなど。
諦めて受け入れれたら
どうすればリカバーできるのかを考えてみよう!
リカバーの方法がわかればさらに諦めれるものが増えるかもしれない。

無いことに心がロックされることがある。
これも無い、
あれも無い、
私には大切なこれが足りない
といった感じ。
在るものに目を向けることは大事だ。
ただ、
そうできない時もあるのも自然だ。
在るものに目を向けれる時もあれば
無いものばかりが気になる時もあるさ。
在るものに目を向けれない自分を
責めることより
無いものばかりを見ていた自分を
許容してあげることが大切だ。

もしあなたがサイズ違いの靴を履いて歩いていたら
歩くたびに痛いし、
きっと歩けなくなってしまうよね。
靴が足に合ってないなんて考えもしなかったら
歩いている周りの人のスピードを見て
自分がダメなように感じてしまう。
みんなもこんな痛い思いをしているのに
その痛みを乗り越えて歩いていると考えたら
自分がとても弱く感じるだろう。
自分がダメだと思い込んでいたら
靴が合ってないなんて考えもしないもんね。
あなたが痛みを感じているのなら
それはあなたがだめなんじゃなく、
靴が合ってない可能性がある。
自分に合う靴を履いたら
こんなに痛くないの?と驚いてしまうかもしれない。
歩くたびに辛かったのに、
歩くことそのものが楽しく感じるだろう。
だってやっと自分のままで歩けるのだから。
人は輝くように作られている。
本来の力を発揮し損ねてもがいているのはまるで
サイズ違いの靴を履いて歩いていようなものだよね。