
自分の「普通」を変えていく vol.4889
変化の期間が習慣の変容ではなく
我慢で乗り切るスタイルであれば、
そりゃ、終わったら元通りさ。
自分の「普通」を変えていくことなんだよなぁ。

変化の期間が習慣の変容ではなく
我慢で乗り切るスタイルであれば、
そりゃ、終わったら元通りさ。
自分の「普通」を変えていくことなんだよなぁ。

問題を深刻化するクセがあるのかもしれないね。
行きすぎた内省は
そこから導かれる教訓を歪ませる。
さっきまで深刻だった問題も
もっと深刻な問題が出てくれば
些細なものに様変わりする。
それに当時、
問題だと深刻になっていたことの多くは
10年後、問題じゃなくなっている。
実際、大抵のことは乗り越えてきているし、
そう大問題にもならなかったじゃないか。
事実を見直してみよう。

見ていたのに
意識では見ていないということがある。
知っていたのに
意識では知らなかったということがある。
私たちは意識しないと
見えないし、わからない。

「気づき」には恐ろしい一面がある。
気づいてしまったら…
気づく以前には戻れない。
変わらなければならない。
以前の自分を否定することになるかもしれない。
だからだよね、
何を気づかないように扉を閉めているの?

海は荒れているように見えても
深いところではゆっくりと流れている。
そんな海で例えるなら、
チャンスや運を引き寄せるといったことは海面で、
自分を最大に発揮するといったものは中深層で
自身を引き受けるが深海。
自分を引き受けることが
理解を超えて分かっているか。
それは成熟の一面だな。

心根は大概伝わる。バレる。
だから、バレないようにしよう!ではなく、
だから、バレても良いようなピカピカの心根にしよう。
そっちの方が気持ちいよ。

「結果、そうなんだから仕方ない。」と
事実を受け入れてみようじゃないか。
受け入れた時は落ちても次には必ず浮上してくる。
そして、
浮上した「わたし」は既に
バージョンアップした「わたし」になっている。
だって、
「受け入れたくないことを受け入れること」自体が
力が付くことだから。

「予定通りにはいかない」ことを
予定に入れとかなきゃいけない。
突発的なことに対処しながら
やはり、主体的に決めていく。
受動的かつ、能動的に。
そういった柔軟さを意識したいね。

伝えたいこと、
知ってほしいことなど
想いはたくさん溢れてきても
ひとつに絞ることが大事だ。
「つまり、何なのか。」
ひとつに絞ることで
何を大切にしているのか、
どう考えているのかがハッキリする。

いつの間にか身体が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じスピードの球が投げれる」
と思って投げたのにスピードに乗らない。
それどころか身体が痛い。
まずはストレッチしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないストレッチ。
だけど、
ストレッチなしに可動域は広がらない。
何より身体が硬いままだと怪我をする。
ストレッチして可動域を広げて、
それから筋肉をつけて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。
身体のストレッチは
大人の学びでいうアンラーニング。
アンラーニングは「学びほぐし」と言うらしい。
まさに身体のストレッチとおんなじだ。
上記の文を「大人の学び」で書き換えてみるよ。
いつの間にか頭が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じ鋭さの思考ができる」
と思っていたのに、鋭さに欠ける。
それどころか全くピンとこない。
アンラーニングしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないアンラーニング。
だけど、
アンラーニングなしに思考の可動域は広がらない。
何より頭が硬いままだと怪我をする。
アンラーニングして思考の可動域を広げて、
それから学びを深めて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。