
その人をつくるもの vol.5530
恥をどの部分に感じるかは人によって違う。
怒りをどこに感じるかも人によって違う。
何に悲しみ、何を屈辱に感じ、
何を喜び、何に満足するかも人によって違ってくる。
その違いこそが
その人を現しているんだよね。
あなたは何をどのように感じているんだろう。
そしてなぜ、そう感じるんだろう。

恥をどの部分に感じるかは人によって違う。
怒りをどこに感じるかも人によって違う。
何に悲しみ、何を屈辱に感じ、
何を喜び、何に満足するかも人によって違ってくる。
その違いこそが
その人を現しているんだよね。
あなたは何をどのように感じているんだろう。
そしてなぜ、そう感じるんだろう。

そんなに嫌ならやめたらいい。
無理してやる必要もないし、
やめたらダメなことなんてひとつもない。
リアルに辞めた未来を想像してみて!
やっぱりやめたくないと感じたなら
楽しむ工夫をしていこう。

腹立たしいのは
相手のやっていることが
自分の期待通りじゃないから。
つまりはそのイライラは
あなたの「期待」から始まっているとも言える。
勝手に期待し、
裏切られたと勝手に傷ついてイライラしてる。
なんとも身勝手な話じゃないか。
自分に対しても同じようなことをやっていないかい?
期待した自分と現実の自分に距離があり、
やれない自分にイライラが止まらない。
リアルを受け入れたら
その溝を埋めるには以下の3つだ。
ひとつは期待値に届くまで諦めない。
もうひとつは期待値を現実的なところに収める。
最後は、頑張れば手が届きそうなリアルな期待値に調整し、
そこまでやる。

出来る出来ないに関係なく、
始めるのに気乗りしなかったり、
できれば避けて通りたいといった想いが湧く時は、
対象に対して「苦手意識」を持っていることが多い。
そういった感情が「苦手意識」だと名前がつけば、
それは克服できる。
別に何をどうされた訳でもないのに妙に鼻につく、
相手のやることなすこと気に食わないといった感情が湧く時は
「妬み」を抱いていることが多い。
そういった感情が「妬み」だと名前がつけば、
それを取り扱うことができる。
その感情や感覚に名前がつきさえすれば
次に進めるんだよ。

うまくいく時とそうでない時の違いは
自己内対話にある。
うまくいかない時は
「ちゃんとやれよ」
「間違うなよ」
と厳しい自分と対話している。
一方、うまくいく時は
「半歩でも前に進もう」
「やってみるだけでも得るものはある」
と援助的な自分と対話している。
あなたの中にはどっちの自分が強く登場してる?

人が芯から変わる時、
どう見ても本人は辛そうだ。
いや実際に辛い。
だって今までやってきた自分を否定しかねないし、
慣れ親しんだ生き方から離れ、
未知の世界に入っていくことだから。
痛みなくして成熟なしなんだよなぁ。
考え方によっては
適切な痛みを感じれるというのは
ありがたいことだね。

自分が思っている「わたし」と
周りの人が感じている「あなた」には違うところがある。
自分が思っている「わたし」と
現実の「わたし」にも違っていることがある。
この開きが大きいと
人生にフィット感が感じられない。
どこか調整が必要だからこそ、
周りの人が「わたし」をどう見ているのか、
現実の「わたし」はどこに立っているのかを
冷静に見る必要がある。

意識的に向かいたい方向と違う選択をしてしまう時、
無意識的に向かいたい意欲や恐れに
意識が負けてしまっていることが多い。
なぜ、意識的な方より
無意識的な方が強いのか。
意識は自覚している分、制御が働いているが
無意識は自覚していないから
意欲だって恐れだって剥き出し、
露骨だからなんだ。

中途半端は気持ちがいいことじゃない。
けど、そんなに悪いことなのか?
道半ばであれば誰もが中途半端なところにいるんじゃないのかな。
人生では全てを完了させて進むことなんてできない。
終わってないけど、
終わったことにしてしまうこともアリだ。
節目だと捉えたら
その中途半端から何を学べるんだろう。

問題が問題になるのは
対処方法がわからない時。
対処できることがわかれば
問題ではなく対処すべきことでしかなくなる。
問題なのは出来事そのものではなく、
対処できないと思っている
自分に課題があることが多い。
だから今、問題に見えていることは
あなたの課題を
見せてくれているだけなのかもしれないよ。