せめぎ合い vol.4891
ミードだったかな⁈
期待されていると感じる役割と自分とのせめぎあいの中で、
自分が形づくられていくと言ったのは。
自分の中にはさまざまなせめぎ合いが起こる。
ミードによると
そうやって自分が形作られていくのだけど、
せめぎ合いはやっぱり疲労するので、
自分が形作られていくと同時に大切なことは
せめぎ合いながらも自分を保つこと。
ミードだったかな⁈
期待されていると感じる役割と自分とのせめぎあいの中で、
自分が形づくられていくと言ったのは。
自分の中にはさまざまなせめぎ合いが起こる。
ミードによると
そうやって自分が形作られていくのだけど、
せめぎ合いはやっぱり疲労するので、
自分が形作られていくと同時に大切なことは
せめぎ合いながらも自分を保つこと。
「気づき」には恐ろしい一面がある。
気づいてしまったら…
気づく以前には戻れない。
変わらなければならない。
以前の自分を否定することになるかもしれない。
だからだよね、
何を気づかないように扉を閉めているの?
いろんなものが重なる。
例えば、道を通る時に
自転車と電柱と歩行者で重なったり、
離合する車にバイクも重なったり
ちょっとタイミングがズレればスムースなはずなのに
なぜか狭い道に2つ3つ重なる。
そんな感じで
出来事も重なれば、
人も重なり、日付も重なる。
来る時は一緒くたんにやってくる。
今年初の花火は出張先のビルの隙間から。
ほんのちょっとでも
花火はやっぱり嬉しい♪
いつの間にか身体が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じスピードの球が投げれる」
と思って投げたのにスピードに乗らない。
それどころか身体が痛い。
まずはストレッチしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないストレッチ。
だけど、
ストレッチなしに可動域は広がらない。
何より身体が硬いままだと怪我をする。
ストレッチして可動域を広げて、
それから筋肉をつけて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。
身体のストレッチは
大人の学びでいうアンラーニング。
アンラーニングは「学びほぐし」と言うらしい。
まさに身体のストレッチとおんなじだ。
上記の文を「大人の学び」で書き換えてみるよ。
いつの間にか頭が硬くなっていたのかもしれないね。
「今までと同じ鋭さの思考ができる」
と思っていたのに、鋭さに欠ける。
それどころか全くピンとこない。
アンラーニングしないといけない。
地味でやっている感も薄く、
これだけで成果が出るわけでもないアンラーニング。
だけど、
アンラーニングなしに思考の可動域は広がらない。
何より頭が硬いままだと怪我をする。
アンラーニングして思考の可動域を広げて、
それから学びを深めて
すこしづつ少しずつ力を取り戻し
パワーアップしてゆく。
私たちは「何のためにやっているのか?」を忘れがちだ。
だから、忘れない工夫が必要となる。
例えば、日々に結びつける。
歯磨き、ベットに入る、トイレ行くなど
毎日必ずやること、目につくものやルーティンと目標を紐づけるんだ。
洗面台に目標を書いた紙を貼っておけば
歯磨きのたびに思い出すことになるだろうし、
スマホの待ち受けにしていたら
開けるたびに目標を見ることにもなるだろう。
あなたの生活に合った目標を忘れない工夫をしてみよう。
期限を決めれば、夢は予定に変わる。
「いつか」という日は一生来ない。
夢に期限をつけるだけで
時間が意識できる。
やるべきことが明確になる。
リアル感が増す。
期限をつける話をすると
守れなかったことを気にする人がいるが、
守れなかったら伸ばせばいいだけ。
守れなかったとしても、
期限をつけていない時より期限を設けた時の方が
確実に進むはずだよ。
これは嘘じゃない。
願うだけで全てが叶う魔法はないけど
願ってないことが叶うとは思えない。
こうなったらいいなぁ♪
これができるようになったら嬉しい!
と
願うことから始めたらいい。
ニヤニヤ妄想できるのも力だし、
だんだんとその夢の情報が集まってくるようになるから。
ダメでいいんだよ。
ダメでいいからやってみよう!
ダメでいいから試してみよう!
ダメでいいから思いつきに従ってみよう!
ダメで構わない。
進まなくていい。
やるだけやってみるんだ。
人との関係には距離や頻度、温度がある。
近かったり遠かったり、
しょっちゅうだったり、たまーにだったり、
冷たかったり温かかったり。
ただ、
距離や頻度は関係性を温かいものにするために大切だけど
温かい関係に距離や頻度は関係なくなるんだよね。