
ひつじのショーン vol.5532
昨日は妙に好きなものでトゥッカーナのことを書いた。
私は基本、動物が好きだ。
身近では犬好きで、
ぞうさんやお馬さん、ひつじさんも好きだ。
そう!ひつじと言えば「ひつじのショーン」。
いたずら好きでアクティブで
知恵が働くショーンのドタバタ劇がとても愛らしい。
福岡県立美術館では12月24日まで
ひつじのショーン展があってるんだよなぁ。
行きたいなぁ。

昨日は妙に好きなものでトゥッカーナのことを書いた。
私は基本、動物が好きだ。
身近では犬好きで、
ぞうさんやお馬さん、ひつじさんも好きだ。
そう!ひつじと言えば「ひつじのショーン」。
いたずら好きでアクティブで
知恵が働くショーンのドタバタ劇がとても愛らしい。
福岡県立美術館では12月24日まで
ひつじのショーン展があってるんだよなぁ。
行きたいなぁ。

なぜか妙に惹かれるモノってあるよね。
私にとってその一つはこの鳥、トゥッカーノ。
ブラジルを代表する鳥らしく。
大きくて鮮やかな黄色いくちばしが特徴的で
果物好きで人懐っこいらしい。
瞳がとても愛らしい。
壁紙に使われてても目がいっちゃうし、
コーヒーもトゥッカーノが載っているだけで選んじゃう。
好きっていいよねぇ。

誰に相談するかも
どの意見を採用するかもしないかも
最後は自分で決めている。
どんなにたくさんのアドバイスをもらおうと
自分で決めていくしかない。
例えどれも選べなくても
それはあなたが選ばないことを決めたこと。
自分の人生の責任は自分で取るしかない。
だからこそ、
自分が本当にやりたいことをやろうよ。
あなたはどんな人生を選択たい?

伝え方は工夫が必要だが
正直に伝えることは大切だ。
人は分かり合えないものだから。
誰もわかってくれなければ、誰のこともわかっていない。
自分のことさえわかっているとは限らない。
分かり合えないものという前提を承知で
だから伝えてみる。伝えていく。

記憶は曖昧だ。
記録を見返すと
記憶との違いに驚く。
記録からは
記憶していたのとは違う話が出てきたり、
聞けば良かった…と後悔していたことを
ちゃんと聞いていたり。
記憶って当てにならないな。

子ども達が大学で家を出て行くまでは、
早朝便や深夜便を使って日帰り出張を
繰り返していた。
特に冬の朝、
真っ暗で冷たい風が吹く中を
ゴロゴロ引きながら歩くのが嫌だったな。
それが久々、早朝便を使うと
朝一だから遅延はないし、
空港までの電車は空いてるし、
悪くない。
頻度もさることながら、
そうせざる得ないか、
自ら選択したものかの違いが大きいのかもしれない。

イラっとする中には
本当のことが含まれていることが多い。
傷つくことの回避で、
見ないようにしてきた本質に
直面化させられるからイライラしてしまうのだ。
イライラはチャンスだ。
あなたが目を逸らしてきたものを
まざまざと見せられている可能性が高く、
見たくなかった事実を明らかに観ることが
あなたの可能性を広げることにつながるから。

自分のことが自分ではわからないものだ。
特にどう見えているのかはわからない。
自分の肉眼で自分の顔を見ることはでいないし。
だから「私」のことを尋ねてみるのことは大事で、
その際、尋ねる人は選ばなければならない。
リアルに時間を共にしている人や
ゴールに向かって共に歩いた人、
そして愛がある人がいい。

健康は失った時に
そのありがたさを実感する。
歩けて、走れて、座れるといった
ごく当然のようにできていたことが
いかに素晴らしいことだったか。
素晴らしいものを今すでに持っている。
充分ある!といったことを意識したら、
さてあなたは何をする?

できる!間に合う!
と言ってくれる人がいるだけで
勇気が湧いてくる。
まだ結果が出たわけじゃない。
無理だろうが、不可能だろうが
見通しでしかないのだから
力が湧く、好きな自分になれる方が大事だ。
意欲的になれる言葉を自分にかけていくことが大事だし、
そんな言葉をかけてくれる人が一人でもいれば
人は踏ん張れるんじゃないのかな。