
しょうがない
生きてりゃ、いろいろある。
嬉しいこともあれば
耐えれないと思うこともある。
自分を誇らしく感じる時もあれば
情けなく感じることもある。
だから人生はいいんだ!なんて、
とても言えない。
情けなさはこの世から消えたくなるし
とらわれた心は寝ている間も解放されず、
ぐったりとした朝を迎えてしまう。
嫌で嫌で仕方ない。
嫌だと泣いても何も変わらない。
嫌だけどしょうがない。
嫌な時間に慣れるしかない。

生きてりゃ、いろいろある。
嬉しいこともあれば
耐えれないと思うこともある。
自分を誇らしく感じる時もあれば
情けなく感じることもある。
だから人生はいいんだ!なんて、
とても言えない。
情けなさはこの世から消えたくなるし
とらわれた心は寝ている間も解放されず、
ぐったりとした朝を迎えてしまう。
嫌で嫌で仕方ない。
嫌だと泣いても何も変わらない。
嫌だけどしょうがない。
嫌な時間に慣れるしかない。

世の中には確認できないことが実に多い。
自分のことは過去の事例と
照らし合わせるしかなく、
誰かのことは
直接本人に尋ねれたとしても
本当のことを言うとは限らない。
そもそも、
本当の思いを本人が自覚しているとも限らない。
私たちの想いも
ちゃんと伝えているつもりでも
そのままに伝わっているとは限らない。
本当の思いは伝えにくいものだし。
何が本当なのかなんて
誰にもわからない。
確証のないものをどう取り扱うかは
結局はその人が決める。
ということは
結構なことが自分の解釈でしかないのかもしれない。

リセットにはふたつある。
積み重ねてきたものが0になってしまうような
振り出しに戻るリセットと、
悪い流れを断ち切って
リスタートするようなリセット。
どちらにしても前向きな諦めと覚悟が必要で
過去へ区切りをつけて
未来へ顔を上げれば
再生が始まる。

やってきたものややれてるものは
この程度で大丈夫とか、この程度なら行けるとか、
程度が分かる。
ある程度で留めれるし、
決して無謀な完璧さは求めない。
しかし苦手なもの、やったことがないものは
この「程度」がわからない。
だから、未知や未熟なものほど
完璧を求めてしまうのかもしれない。
人は完璧でなければと思い込んで
始めることに二の足を踏んだり、
勝手に挫折するケースは少なくないが、
程度を知ることは大事で
知ってしまえば
この程度でいいの?といったケースも実は多い。
その先にはもちろん、
「この程度」の深さがあるのだろうけどね。

人が変わりたいと思う時、
まるで別人に変身するような想像してしまうが、
それは少し違う。
あなたがあなた以外の人になることはない。
理想の別人に変わるのではなく
自分との付き合い方が変わるんだ。
そう。
自分は少なくとも二人いる。
私は私と、
あなたはあなたと一生付き合っていく。
「自分との付き合い方を変える」といった
「もうひとりの自分」を意識すると
人が変わったようになる。

本日で創業21周年。
弊社は22年目に入ります。
昨年、20周年を迎えた…と思っていたら
もう一年経ってしまった。
おっちょこちょいで
無計画な私が20年以上も
商売させてもらって本当に有難い。
いつか必ず全ては終わる。
終わらないものなどひとつもないと考えると
私がやれる最大を日々、
やっていきたいと身が引き締まる思いです。
22年目もよろしくお願いします。

なーんか、タイミングってあるんだよね。
どうあがいてもなかなか進まない時もあれば、
スムースに流れていく時もある。
だから、
進まない時は進めない。
進む時が来たら進むから
今できる、今やりたい別のことをやる。
それでいいんだよ。
今、やれることをやる。
私たちにできることの唯一かもしれない。

習得のプロセスには、
忘却が含まれている。
全てがごわさんになってしまったような時間。
上手くなっていたのに、
全くできなくなるといった時期が
習得のプロセスには必ずあり、
そこを乗り越えると、
もっと上手に出来るようになってゆく。
つまり、あれ?!全くできなってる…というのは
いよいよ出来るサインで踏ん張りどころ。
次は別世界だー!
夜明け前が一番暗いって
本当なんだよな。

限られた時間やエネルギーであることを考えると
その方向は選ぶ必要がある。
付き合いたい人か、
どうでも良い人か、
距離を取りたい人なのか。
全力をかけたいことか、
どーでも良いことか。
もちろん、人や事によって
接し方ややり方を変える必要はない。
誰と接するときも
何をやるときも自分自身で居続ける。
ただ、大切なエネルギーを同じように使うのなら
付き合いたい人ややりたいことに
より多くの時間とエネルギーを割くように意識する。

自信がないから行動しない。
といったことはよくある。
逆で考えると
行動する人は皆、自信があるかというと
そうじゃない。
認められたいがために何かをやる
といったこともよくある。
逆で考えると
何かをやれば必ず認められるのかというと
そうじゃない。
双方向に正しくなければ
その法則は成り立たない。