反応に後悔するのはおかしいだろ。
梅干しを見て唾液が出ることに
私たちは悔やみはしない。
なぜ、唾液を出してしまったんだろう…と
体の反応に対して
後悔の念に苛まれることはない。
しかし、
同じ反応でも
心の反応に対しては後悔する。
また、あんな風に感じてしまった…。
なぜ、いつもこう思ってしまうのだろう。
「梅干し→唾液」といった
体の反応と同じで
本当は心の反応もただの反応で
辞めれないだけなのかもしれないのに
心の反応には
敏感に後悔し、辞めれないものかと願う。
私たちは態度を選ぶことができる。
心が反応したからって
それに態度を従う必要はない。
梅干しを見て唾液が出たら
唾液を飲み込むのか、
唾液を吐くのか、
唾液を無視するのか、
その後の態度を選ぶことができるように、
心が反応したら、
心のままに従うのか、
違う方法を選ぶのか、
それとも何もせずに傍観するのか等、
その後の態度は選ぶことができる。